アクシデント

年よりが暮らす毎日は、一寸先は見えないことが多い。
 17日(土)は飯田の郷での音楽会がある日だった。
朝食の後、出かけるための用意を済ませて、さあ、準備が整った。出かけるぞ!と玄関で履いてゆく靴を探した。
 
 居間の奥では家内が、ごそごそと何かやっていたので、終われば来るだろうと玄関で待っていたら
「お父さん、私、今日は体調がおかしい」
と、家内の声。
 靴を脱いで家内のそばに行くと、家内は横になって荒い呼吸をしている。良く観ると顔色が真っ青だ。
 
 急いで、脈拍を観る。心房細動で不整脈が良く出るので一番にそれを疑った。
家内が横になったまま、
「私、胸がむかむかして、吐きそう。どうしたんだろう?」
と苦しそうに私に訴える。
 
 そのうち、「ビニール袋を持ってきて」と言いだした。
私が差し出す袋に顔を寄せて、家内は嘔吐を始めた。
「立ち上がれそうか?」私が質問する。
 
 無理だと解り、私は脳こうそくなどを疑い、日ごろは迷惑をかけてはいけないと、救急車などの応援を考えることは無いのだが、この時は、すぐに決断して119番に電話した。
 
 やがて、救急車のサイレンが聞こえ、近所の人が顔を出す。
到着した救命士に、様子を説明して家内はストレッチャーに乗せられて、市内の救急病院へ搬送された。
 
 病院でいろんな検査を受け、数時間後医師が容態について説明してくれた。
結果は深刻なことでなく、疲労が原因ではなかろうかとの結論で、点滴を済ませ午後には帰宅できた。
 
 思えば8月の終わりごろから、ふたりの叔母の看護の明け暮れで、気を張っていて本人は気付かなかったのであろうが、片道50分ほどかかる叔母の入所先まで、毎日往復を繰り返した。
 その間、一人の叔母は帰らぬ人になり、葬儀やその後の処理に家内が一人で駈け回る。もう一人の残された叔母の心のケアにも気を配り、ようやく事態が落ち着いてきた矢先だった。
 
 家内も年齢的には決して元気な部類には入れない。
まだ、老齢ながら現役で仕事もこなし、これまでの生活を続けてきたが、家内とこれからのことを話し合い、仕事を減らすことと無理なローテーションは改善して、生活を見つめ直そうと確認し合う。
 
 私たちの子どもはすべて関東で暮らしている。
そのことを知っている残された叔母は
「○ちゃん、東京へいつかは行ってしまうのね」
と、心細そうに家内に話しかけることが多い。
叔母は、心から信頼して頼る人間が居ない自分の境遇が分かっているため、家内に頼り切っている。
私も家内もどんなことがあっても最後まで、叔母の面倒をみると言うことを心に決めている。もう、御世話を始めて5年が経つが、その気持ちが揺らいだことは無い。
「絶対に他所へは行かないから、安心していて。最後までお世話させてもらうからね」
叔母に対して少しでも不安な気持ちが膨らまないように、私たちはこう言って叔母を励ます。
 
 長寿社会は、こんなことがあると素直に喜んで良いのか、疑問だらけになる。
この数日間は、人の老後のおくり方を真剣に考えさせれる日々であった。
 
 家内は、先ほど大好きな温泉へ出かけて行った。
そんな家内の姿を見送るとき、ホッと安堵の気持ちが私の胸中に広がる…。