熱し易く冷めやすい?
この法案が可決されるまでの、国会での攻防、学者たちの反対の声明、多くのマスコミの片寄った扇動的報道、国会を取り巻くように集まった反対運動の人々。熱気に取りつかれたようなシルヴァーウイーク前の日本の様相であった。
それが、参議院で可決され大型の休暇を迎えた途端、その熱気は塩を引くように急激に冷めて行った。
休暇が終わり平素の日常を迎えても、マスコミなどで安保関連のニュースやコメントを探すことは難しい。
私にはこれで良いのであろうかという疑問が付きまとって、気持ちは晴れ晴れとしない。
国会での衆参合わせて200時間を超える審議が行われたわけだが、内容の深まりを迎えることなく時間だけが経過して行き採決を迎えた。
やれ、違憲だ。戦争に巻き込まれる。徴兵制が復活するなどといった、本線を外れた攻撃に終始した。
不思議なのは、学者、一般市民、マスコミなどがこぞって民主や共産党のこのような不毛な国会での議論に同調したことだ。
この問題の本質は、国防である。
独立国が自国をどのような形で守れば良いのか。
独立国を形成していて、それが他国に蹂躙されれば、違憲だとか、徴兵制だとか、戦争に巻き込まれてはならないなんて、言っておられないのだ。
このようなことを述べると、「どこの国が攻めてくるというのだ」「日本は憲法9条で70年間平和が維持できたではないか」という声が聞こえてきそうである。
しかし、近年の国際情勢を見ていたら、そんなのんびりとした意見が通用するのであろうか。
我が国の3.5倍の軍事予算をつぎ込み軍備拡張に熱心な中国は、近隣の軍事力が弱い国の抗議など無視して、岩礁地帯を埋め立て、何時でも軍事転用できる3000メートル級の滑走路をもつ施設を建設中だ。
しかも、そこは中国の領土でも何でもない。
これまで、そこの海を貴重な漁場として生活していた、フィリピンやベトナムの人々の暮らしを脅かしている。
一例として挙げたが、日本が他国に攻められないと言う保証はないのだ。9条のことを理由に挙げる人が居るが、これは論外である。憲法の前文を読めば今の中国の覇権主義に対して、意味の無い文章であることは明らかだ。
日本のマスコミは、産経新聞を除き恣意的ともいえる態度で、このような中国の暴挙を糾弾する報道は大々的には報道しない。
日本では選挙前になると、どのようなことへ関心があるかを調査する。そこでは、つねに景気回復などの経済問題や福祉などの老後の問題などが上位を占め、国防や教育など国家の存亡に関わる問題は、関心度が低い。
この度の安保関連法案の審議は、国会での採決ということで幕を下ろしたが、国防の必要性については、何ら進んでいないし深まってもいない。
平和を維持することは、絶対に大切なことである。
どうすれば平和を保って、国を繁栄させることができるのか。
日本人の大きな課題だとして、息長く国防に関してみんなで考えて行きたいと思う。