メディアの世論誘導と反安保運動

参議院での安全保障法案の審議が山場を迎え、民主党の岡田委員長は絶対に法案可決を阻止しなくてはならない。強行採決を許してはならないと気炎をあげている。
 もちろん、共産党や社民、生活の党なども同調する姿勢を示していることは言うまでもない。
 
 先の8月30日の国会周辺での、反安保集会などでは作曲家の坂本竜一など、有名人もデモの人に交じり反安保を唱えていた。
 私たちの知り合いなどの中にも、このようなデモの様子をテレビを通じて見せられた若い人から、これだけの反対の声が上がっているのに、政府は強引にこの法案を採決するのでしょうか。
 安倍首相の独裁にストップをかけねばならない。と、憤慨している様子を垣間見てしまう。
 
 この若い人は「このままだと日本は本当に戦争に突き進むのではないか。そのとき戦場の最先端に行かされるのは、我々若いものだ」
と、不満を漏らす。
 
 マスコミはこのような安保法制に反対で集まった人々の様子は克明に伝えるが、日本の防衛のための抑止力を高める集団的自衛権の行使を可能にすることに、賛成の人々の様子は伝えない。
 表面の一部の現象を、これでもか、これでもかと伝え、有識者と呼ばれる人をコメンテーターを呼んで、反対意見を述べさせる。
 テレビ局は変わっても、それぞれ同じような内容であるから、多くの人々は日本人の大多数が、この法案に反対しているような錯覚を起こすのであろう。
 
 日本のサイレントマジョリティと呼ばれる人々は、成り行きを静かに見守るばかりで声はあげない。
 その中には、集団的自衛権の行使を可能にすることは、我が国の防衛力を高めると考えている人がかなり多いのだ。
しかし、この人たちの大きな特徴は、新聞に投書したりネットを利用して私見を述べたりはしないことだ。
 
 こうした我が国の世相のありようが、日本中で反対の運動が盛り上がり国民あげての反安保の動きが起きていると思いこむ。
 
 9月3日に行われた中国の”抗日戦勝記念70周年”の式典でも同じような状況が展開された。
 中国共産党政府の抗日戦勝という事実ではない声明に対して、日本のマスコミは「中国政府の発言は可笑しいではないか。戦勝したのはアメリカと当時の国民党政府だ」とのクレームは絶対につけない。
 
 情報をマスコミの記事やテレビ画面からの報道でしか得ようとしない人々は、ここでも日本は中国へ対してひどいことをした。日本が中国や韓国に文句を言われても、悪いことをしたのは日本なのだから、じっと耐え忍ぶしか方法は無い。
 
 などと、誤った事実を鵜呑みにして、自虐的な想いに陥る。
 
果たしてそれで良いのだろうか。
イギリスやアメリカのマスコミ、一部の識者はこの中国の言い分に、すぐに反論を唱えている。
 繰り返すが、1937年から1945年まで日本と戦って戦争で勝利したのは、蒋介石率いる国民党政府とそれを支援したアメリカである。今の中国共産党政府は内戦で国民党政府を台湾に追いやった。これは1949年のことで決して今の中国政府が日本に勝ったのではないと、はっきりと論評しているのだ。
 
 私たちは、次の世代さらにその次へと、日本国の正しい歴史や伝統、文化を伝えて行く責務がある。その上で、自分たちは何と素晴らしい国に生まれ、平和を享受して国際的な視野で人類に貢献してきたのか。いつも日本人としての誇りを忘れてはならないと、若人たちが胸を張れるような遺産の伝承をしていくべきなのだ。
 
 どうも、安保法制に反対している人々やメディアは、このあたりのことをどのようにとらえているのか、理解に苦しむことが多いのだが、安倍総理が70年談話で発言されたように、我が国は先の戦争での反省の上に立ち戦後は平和国家としての歩みを続けてきた。これは今後も引き継がれていくことであろう。
 
 メディアの世論誘導の弊害としての自虐史観の呪縛から解き放たれ、誇りある日本人として生きて行くためにはマスコミの動向に注意を払い、何が真理で何が真実かを見極める能力を、我々は身につけて行く必要がある。
とくに子どもたちへの教育は、その点でとても大切な作業である。
 
 とりとめなく書き綴ったが、ここ数日に感じた私の想いである。