首相談話(2)
昨日は、この欄で70年談話に「おわび」の文言を入れる検討に入ったと、書いたがどうやら私のフライングだったのかもしれない。
ロクに取材もせずに憶測で記事にする。
この後、他のメディアも同じような記事で追随するのかと、考えていたがその様子は見受けられない。
私は、ホッとすると同時に、”飛ばし”を疑いもせずにブログを書いたことを恥じた。
昨日、私のブログに目を通して下さった方々には、”おわび”申し上げなければならない。改めてごめんなさいと、”おわび”いたします。
8/9(日)配信
この記事では、
ヤマサキ教授は、日本の謝罪は不毛であり、無意味だという結論を出し、これまでその趣旨の見解を何度も表明してきた。
同教授は、1965年の日韓国交正常化以降の日本の国家レベルでの謝罪を数々列挙して
「主権国家がこれほどに過去の自国の行動を間違いや悪事だとして、外国に対して誤ることは、国際的にきわめて珍しい」と述べた。
そしてアメリカはじめ他の諸国が国家としての対外謝罪を拒む理由として、
①過去の行動への謝罪は国際的に自国の立場を低くし、自己卑下となる。
②国家謝罪は現在の自国民の自国への誇りを傷つける。
③国家謝罪はもはや自己を弁護できない自国の先祖と未来の世代の両方の評判を傷つける。・・・
という諸点を挙げていた。
中 略
ヤマサキ教授は、日本の謝罪外交が成功するためのカギとして、以下の点を強調している。
「謝罪が成功するには受けてにそれを受け入れる用意が不可欠だが、韓国や中国には、受け入れる意思はなく、歴史問題で日本と和解する気がないといえる」
アメリカ側にもこうした見解があることを知るべきだろう。
引用終わり
このヤマサキ教授の見解から、総理の70年談話で「おわび」の文言を入れたりすることがいかに無意味か、日本人は肝に銘じるべきだ。
14日には、閣議決定された首相の談話がでるのであろうが、これまでの村山元総理の談話を踏襲するの一言をどこかに入れれば、それで充分なのではなかろうか。
どうせ、中韓両国は、それらの文言を”人質”にして優位な外交の位置をせしめよう。あるいはここが日本の弱点だ。この弱点を攻め続ければ、日本はいつかは根をあげるのではないか程度の意識で要求を重ねているのではないか。
私の結論は、「おわび」や「侵略」の文言は絶対に入れない。
政府がそれでは治まらないだろうと思うのであれば、安倍総理にはお気の毒であるが、70年談話などは、発表しないことだ。
総理としては、歴史に名を残そうとの想いが強いのかも知れないが、これまでのお働きで充分歴史に名を残す宰相となることは間違いないと思う。