残酷ショーは、早急に改善すべきだ
今年も夏の全国高校野球選手権試合が近づいた。
私は、毎年周囲が熱狂する試合の様子を、かなり冷ややかな目で見つめてしまう。
それは、本音と建前を見事に使い分けて、出場チームの地元の声援や応援の熱気で、本来の高校野球の目的をかき消しているような状況が嫌でたまらないからである。
しかし、現実はどうなのであろう?
まず、投手の酷使が気になって仕方がない。
最近の駒大付属と早稲田実業の試合で、田中投手と斎藤投手が投げ合った試合などはその典型だ。
まだ、身体が完全に作られてしまってはいない高校生への連投の要求は、この時期に将来ある球児の野球生命を縮める要素を含んでいるのでないか。
すべて勝利のため、監督がこの世界で名を成すためだとしたら、本末転倒なのではないか。
酷使された投手は、プロに転じてもはじめの数年は期待通りの活躍ができるが、高校生時代の酷使された後遺症がじわじわと身体をいじめ、ある日突然右腕に痛みを感じたりして、球威が落ちたりする。
きれい事を言いながら、野球に限らずスポーツの世界は、選手の周囲の人々、指導者や組織を運営する幹部など、金まみれではないのか。
スポーツは勝負事であるから、勝つことは当然大切だ。
しかし、勝つことだけが目標になれば、その副作用がいろんな面から噴出する。
マスコミも注目選手だけにスポットを当て過ぎだ。
なにはともあれ、早急に玉数一試合100球までとするなどの、ルールの改正をして欲しい。