老人ホームの友達

家内の叔母二人は、5年前から介護付き老人ホームに入居して、御世話になっている。
 一人は障害者で、何をするにしても他人の介添えが必要だ。
もう一人は、ある程度のことは自分で出来るのだが、少しずつ老人特有の病が進み、やたら昔を懐かしがる毎日だ。
 
 一週間に3度くらいのサイクルで、家内が顔を出すと二人の表情が輝く。
男で血のつながりが無い私は、男の力を必要とすることが無い限り、家内の負担を少しでも減らそうと、”アッシーくん”に徹して二人の前には顔を出さない。
 
 それでも二人は私にも深く感謝してくれて、ときどき、施設の玄関で1時間ほど時間をつぶしている私のところへ、お礼に降りてくる。
 
 そんな日々が続くうちに、玄関の脇に作られている喫煙の場所に顔を出す、別の入所者と口をきくようになった。
 
 初めは、どこの誰とも解らない私に警戒の目を投げかけながら、私が投げかける挨拶に、モゾモゾと小さな声で応えたり、初めから聞こえぬ振りをして相手にしたくないそぶりを見せていた人も、いつしか私のしつこい挨拶に閉口したのか、はっきりと返事を反すようになった。
 
 最近はそんな入所者の3人と仲良くなって、気候の挨拶から聴かれもしない自分の出身地の話。これまでの自分の生きざまなどを話してくれるようになった。
 
 家内の訪問は、時として2時間に及ぶときがあるのだが、このお年寄りたちとの会話のおかげで、退屈しないで済む。
 
 話を聞いてあげているうちに、この人たちの境遇から共通して漂ってくるのは、”話し相手を欲しがっている”ということだ。
 どうやら、3人のお年寄りは、同じ施設で生活しているのに、日ごろの交流は何もないようで、私と先客(?)の方が、話していると、遠慮してか、そそくさと施設の中へ姿を消す。
 先客が去ると、タバコを口にくわえながら私の隣へ腰を下ろし、いつもと同じような
話題を口にし始める。
 
 施設には80人くらいが入所していて、定期的に家族や親族が訪れるところもあるのだが、この3人の方々のところには、訪れる人がいないようだ。
私が「いつもはどうして一日を過ごしているのですか」ときくと、返ってくる答えは皆同じようなもの。
 テレビを見て過ごす。何曜日と何曜日はかかりつけの病院へいく日。何曜日は買い物に連れて行ってくれる。その時が一番楽しい。などと、応えてくれる。
 
皆さん、寂しいのだ。
施設の中で、ヘルパーの人と世間話はするが、最近ヘルパーさんがどんどん止めるので手が足りないみたい。あまり長時間は相手をしてくれないらしい。
 
 私はこのお年寄りの方々と会話するとき、自分のことはほとんど話さないように心掛けている。
 皆さんは、老人特有のことであろうが、いつも同じ話題を繰り返す。中には、言葉がはっきりしないで聴きとりにくいこともあるが、私は首を縦に振りながら相槌を打つ。
 
 ときには、施設の人がそばに来て「○○さん、医院に行く時間よ」と声をかける。
○○さんは、少し残念そうに私に手を振って施設の車に乗り込む。
 
家内と帰宅するとき、叔母二人の様子や私の”お友達”との会話が話題になるが、いつも、こんな私たちでも少しは他人のお役に立っているのだなあと、確認しあって家路へ急ぐ。
”子ども怒るな来た道じゃあ。年寄り泣かすな行く道じゃあ”