母の日に思う

私の母も、家内の母も鬼籍に入って数年が経った。
 
二人の母には、数知れぬ優しさと慈愛に包まれながら、私たちの家庭を築いていくことができた。
 ふたりの母への感謝は一日たりとも忘れることができない。
 
以後、私たちはどうしたら、このふたりに恩返しができるかと、語り合った。
恩返しと言っても二人はこの世に居ないのだ。
 
 我々二人は「そういえば、お母さんは○ちゃんのことを、最後まで心配していたね」と同じ言葉をつぶやく。
○ちゃんは、母の一番下の妹で障害者である。独身を通してきたので子どもはいない。
 母の姉や別の妹も居たが、一人減り二人減りして天涯孤独の身になった。
 
家内からすれば、叔母にあたり家内といとこはすべてこの叔母からみれば、甥、姪である。
 
 義母は今までは自分が支えになって○ちゃんの面倒をみてきたが、いずれは障害者の叔母は
かゆい所に手が届くような世話を受けることは不可能な日がやってくる。このことを心配していて、いつも○ちゃんのことを話題にあげていたのではないか。
 
 両親、兄弟すべてが居なくなった○ちゃんは、介護施設で過ごすことになった。
障害のある身体で生活するわけであるから、不自由なことがたびたび起こる。
 
 私たちは話し合って、義母に代わって○ちゃんの世話をさせてもらおう。そのことは亡き母への一番の恩返しになると思うと心に決めた。
 
 そうして、早くも5年が経過した。
今では○ちゃんは、家内を100%信頼してくれて、週に3度ほど訪れる我々を心待ちにしてくれる。
 障害者の法的な手続きや市役所への提出物、金銭の管理などすることがけっこう多い。
 
 施設は家から30キロほど離れているので、毎日は行けないが電話で欲しいものなどを聞いて届けたり、月に2回はボランティアで施設のご老人にお話をしたりしながら微力を注ぐ生活が続いている。
 そんな時は、○ちゃんは自分の姪が施設でのボランティアで、頑張ってくれていると自慢そうな笑顔を見せてくれる。
 
 昨日家内は、母の日のプレゼントを持って施設を訪ねた。
今の生活が始まるまで、「母の日」のプレゼントなどとは無縁の日々を過ごしてきた○ちゃんは大感激。
 
 今では、家内が訪ねて語り合う時間が生きがいになっているようだ。
 
天国の母さん、安心してください。私たちはふたりで協力しながらずっとお世話をしていきますよ・・・。    ・・・届いたかな?・・・