憲法9条に思う
今日は昭和の日。今年のGWはやや暑いが好天気に恵まれそうで、行楽地にはさぞや大勢の人々が押し寄せているのだろう。
昭和の日が終わると、マスコミは憲法記念日の特集を組む。それが近年のならわしのようになっている。
憲法記念日の5月3日は、護憲派の集会がどこそこで行われたとか、誰それが参加してこう言ったとかを報じる。一方的に片寄った報道を非難されないように、改正の主張をする人々のことにも触れるのだが、解説の段階では護憲の主張や平和が保たれている理由の一つに、現行憲法が影響していることをさりげなく付け加える。
このアメリカ軍による占領下で生まれた現行憲法が施行されて70年になろうとしている。法理論的には主権が無かった当時の日本へ、占領軍が押し付けてできた”憲法”が、サンフランシスコ講和条約後の主権回復した日本の国家基本法として有効視されている矛盾に目をそむけた可笑しな状態が続いているのだ。
今、国連の加盟国は190カ国を超えている。
護憲派の人々は異口同音に主張する。
それはこの9条で戦争放棄をうたっているからだと、大声で自分たちの主張を吹聴する。
私は思う。
そんなに素晴らしい憲法、世界に誇れる第9条ならば、出来て70年という歳月が刻まれて行く中で、190カ国を超える多くの国々のうちの一つでも「素晴らしい日本の憲法を手本にして、戦争放棄をうたった国家の基本法を作ろう」との声が出て当然ではないか。
この70年という気の遠くなるような長い時間を経ても、世界のどの国も”素晴らしい日本の憲法”を手本にしようとする国が現れないのはなぜなのだろうか。
口を開けば、平和、平和とバカの一つ覚えみたいに叫ぶ護憲派の人々は、このことを考えたことがあるのだろうか。
中には高名な学者先生も居て、現行憲法を擁護する。
しかし、いくら高名でも、世界で本当に素晴らしいと認められたり、私の国も参考にしたいという国が、ただの一つも出てこないことに気がつかないのであれば、お粗末としか言いようがないではないか。
私には、彼らが実は現行憲法のお粗末さを知っていても、それに触れることは護憲派のタブーとして口にはできない。そのことに触れでもしたらたちまち狂信的な現行憲法の支持者たちから、偏向のレッテルを貼られてあっという間にこれまで築き上げてきた自分の地位を追われるという恐怖感の方が強いのだと、思ってしまうのだ。
答えは極く簡単だ。
この議論には、物的証拠なるものは出しようがないから、彼らは大声をあげマスコミと共同戦線を張って、現行憲法のおかげで70年もの間平和が保たれたと叫ぶ。
今では環境破壊も何のその、岩礁を破壊して埋め立て工事を行い、空軍機が離発着できる3000メートル級の滑走路まで建設中だという。
護憲派の人々は、このことを指摘しても傾ける耳をもたないだろう。
せめて、これまで無関心だった人や、平和を守るために何が必要なのかを真剣に考えようとする方々に私の思いを訴えたい。
そして、政府は一日でも早く憲法改正に着手して、この”悪魔の法典”を葬り去る行動を起こして欲しいと念願する。