サッカーボールの事故に思う

昨日最高裁は、今治市で起きた放課後の事故についての判決で訴えられていた少年の保護者の罪は問えないとの判断を示した。
この事件は、放課後学校の校庭でサッカーボールを蹴っていた児童のボールが校庭の外に飛び出し、走ってきた単車の老人を転倒させて怪我を負わせた。その老人は動けなくなって入院。その後肺炎か何かで不幸にも亡くなった。
 
 遺族は子どもの監督責任は親にあると、子どもの両親に損害賠償の訴訟を起こし、1審も2審も親の責任を認め、子どもの両親に賠償金を支払うように命じた。
 
 納得がいかぬ子どもの親は、上告して判断は最高裁で争うことになった件である。
新聞やTVのニュースで、この件については誰もが注目し、コメンテーターや街の声なども入れて、報道されたからみなさん良くご存じのはずだ。
 
 私は、最高裁の判断が出る前に、1,2審の判断はおかしいなとの思いを持っていたので、最高裁の判決は妥当なものとしてとらえた。
 
 裁判官も人間であるから、時にはおかしな判断をする場合もあるかもしれない。
しかし、彼らは法律のプロである。
例えば一人の裁判官が変な結論に達して、法的にもおかしいと思われる判断をした場合、ほかの裁判官が制御装置の役目をして、妥当な判断が地裁や高裁の判決として出されるのではないのか。
 
 それが、この件では、1審も2審も子どもの親に責任ありとする判断を、裁判官がみんなでしてしまうと、裁判官の常識が民意とかけ離れ過ぎて、裁判そのものを信じられなくなる。
 
 私が注目したのは、ボールをよけ損なって転倒したお爺さんは、道路にボールが飛びだしたとき、危険を回避できなかった状態だったのかを、どのように検証されたかということだ。
 
 私は学校に沿った道路を車で通行するときは、いつでも止まれるようにできるだけスピードを落とし、周囲に目配りしながら通過することにしている。
特に、小中学校のそばを通る時は、時速30キロ以上は出さないことに決めている。
 
 30キロ以下だと、予期せぬことが起きてもほとんどのアクシデントは回避できるからだ。私のノロノロ運転で後ろからクラクションを鳴らしたり、車間距離を異常に詰めてくる車もあるが、そこは”粛々”とペースを乱さず運転を続ける。
 
 この単車のご老人は、どのくらいのスピードで運転していたのか。30キロ以下で走っても危険を回避できなかったとしたら、日常そんな身体能力で単車を運転していたのか、など、いろんな疑問がわいてくる。
 
 当然、裁判ではそのことにも弁護士や判事は触れたと考えられるが、マスコミではそこまでは発表されない。
 
 亡くなった方、そのご遺族にはお気の毒であるが、これからのこのような案件についての大きな判例の一つになると思われる。