少年少女のこころ

 マスコミは毎日のように、川崎市で起こった陰惨な中一少年の殺害事件の
経過を報道している。
 
被害者の少年の交際範囲に絞れば、警察は簡単に犯人たちにたどり着くはずだ。
 
それはさておき、私の地元の公立高校などの志願者の締め切りが行われた。
 
地元の学校は、志願者が定員に対して2名のオーバー。
 
隣町の高校では、29名の定員割れになった。
 
地元の人々の間では、隣町の高校の方が進学率が高いと、地元の少し
 
優秀な(?)生徒は、隣町の高校を志願する。
 
私のところに出入りする成績優秀な子どもに、
 
「どこを受けるの?」
 
と質問したら、
 
「隣町の○校です」
 
と、答えが返ってきた。
 
 このお子さんは、大分市の有名な私立の進学校の特、特進科にも
 
合格している秀才だ。
 
しかし、その私立の進学校には行かないという。
 
わけを聞いたら
 
「私はあの学校の生徒のように、ガツガツと勉強ばかりはしたくないのです」
 
と、答えが返ってきた。
 
最近、このようなお子さんが増えているような気がする。
 
そこそこに勉強して、適当に学校生活を楽しみたいらしい。
 
これも一つの考え方であろう。
 
勉強ばかりで一般常識を身につけないまま大人になって、失敗した先輩方の
 
人生を両親や兄弟から聞いたりすることも一因なのかな、と思ったりもする。
 
子どもたちにとって夢を持てない、夢を育てていくことができない環境が
 
原因しているのかとも、考えたりしてしまう。
 
本音を言えば、私は子どもたちにもっと大きな夢を持って欲しい。
 
それに一歩でも近づく努力をして欲しいと思う。
 
しかし、世の中は大人たちが常に主導権をもって作り上げていく。
 
大人たちの願望や欲望は、目先の物欲だ。
 
日本のリーダーたらんとする国会議員の”先生たち”は、法案審議は進めず、
 
敵対する相手がたの非難ばかり。
 
与党である自民党では、次から次に違法献金やそれもどきの疑惑が出て来て
 
防戦に大わらわ。
 
子どもたちに夢を持て、それに少しでも近づく努力をしなさいとは、声を大にして言えない。
 
それは、こんな粗末な人々を国政の場に送り込んだ私たち有権者にも応分の責任があるからだ。