欧米社会の思いあがり?

 はじめにお断りしておくが、私は宗教には無関心というか、そのあり方に、いくつもの疑問を抱いている。
とくに最近の世界での陰惨な出来事に過激な信徒(?)がかかわり、本来人の悩みに救いの手を差し伸べるはずの宗教の対立が、大きな一因になっているのではないかと、心を痛めている。
 幼い子どもの身体に爆薬を巻きつけて自爆させる。学校を遅い逃げ回る生徒を無差別に殺戮する。これ見よがしにTV の映像で公開処刑を行う。
 これらが過激な宗教の信者たちによるものだとしたら、宗教などこの世からなくなれば良いとまで思う。
 
 フランスでの新聞社の襲撃事件でも17名の犠牲者が出た。
もともとは、この新聞社の風刺漫画の掲載が、この事件の一因らしい。
このような過激な風刺漫画を描いたり、発表することにどのような社会的な意味があるのだろうか。
 
 多くの犠牲者を出したこの事件では、欧米社会はすぐに”報道の自由””言論の自由”を守れと、喧々囂々。
パリでは、370万人の人々がこの事件に抗議して立ち上がった。
 フランスはもとより、イギリスやドイツ、イスラエルの首脳まで参加した一大イベントになり、その様子は世界中に放映された。
 
 そして、この新聞社は、すぐに次の過激な風刺漫画を掲載した新聞を、発行部数を大幅に増やして発行したらしい。
このような行為は、事態を鎮静化させるのではなく、燃え盛る火にさらに油を注ぐようなものだ。
 
 報道の自由言論の自由を叫べば、すべてが許されるような錯覚を、いや、おごりを感じてならない。
風刺された当事者やその支持者の気持ちを考えた上での行動なのであろうか。
 
 アメリカもある国の元首をモデルに、茶化したような映画を製作して上映しょうと試みたが、その国から猛烈な抗議やハッカー攻撃をうけたとかで、オバマ大統領はすぐさま報復攻撃に打って出た。
これも、報道の自由を守れ、言論の自由が脅かされてはならないとの声高の声明に、多くの人々が「その通りだ」と指示を表明する。
 しかし、当事者の国の人々は、自国の元首の生活が茶化されていい気持がするだろうか。
 
 ここでもお断りしなければならないが、私はその国の支持者でも何でもない。
むしろ、日本人を拉致したり、自国民が食うものもろくに入手できないような政治を行うこの国には、大きな嫌悪感を持っている。
 
 しかし、言論の自由報道の自由にはある程度の節度は必要なのではないか。
我が国の某新聞社が、ペテン師のような男の創作文をまるで事実であったかのように、従軍慰安婦はたしかに旧陸軍の主導で行われたと、何度も何度もキャンペーンを張り、32年後にようやく「あれは間違いでした」と自らの罪を認めた。
 その間に我が国が失った信頼度、日本人が戦後70年にわたり世界に貢献してきたことが、この新聞社のでたらめさで大きな損失となって残った。
 
 フランスのマスコミ、アメリカの映画会社(ソニーの子会社?)日本のマスコミ、どこもかしこもおごり高ぶってはいないか。
 特に欧米では、自分たちの主張こそが正しく絶対である。このような態度が罪なき17名の犠牲者を作ってしまった要因なのではないか、という反省が欲しいものだ。