盆に思う

 私ごとで恐縮だが、昨年の7月私の母は100年を生き延びて人生の幕を下ろした。
 
 葬儀は九州北部豪雨の真っただ中、母の子どもに当たる私たちとその連れ合いの8人で静かに執り行われた。
 
 仏教でいえば、今年の8月は新盆である。
 
 私は、もともと宗教に関心が無く、周りで”まやかし”ではないのかという宗教関係者の話を聞く機会などがあると、ますます、宗教から距離を置きたくなる。
 
 昔のほとんどの国民が貧しくて大変な時代。
 
 助け合いの意味も含めて、葬儀の形が出来上がっていった。
 
 香典(ご霊前)などの慣習(?)もその一環であろう。
 
 そして、香典返しという風習も、誰も疑いを持たず受け継がれて、あれやこれや遺族が悩む様子を目撃することもある。
 
 さて、、今は仏教徒が昔から行う夏の一大セレモニーの真っただ中。
 
 町に出れば、黒い喪服の善男善女が右往左往しているのを見かける。
 
 暑いのに大変だなあとの想いを胸に秘め、その人たちの脇を通り抜ける。
 
 私のところは、お盆のセレモニーは一切やらないので、平素の日々と変わりなく過ごしている。
 
 最近では「終活」という言葉が流行っているが、人々の間に人生の幕引きをどうするかが、大きな関心事になっているのは、良いことだと思う。
 
 残された遺族にとっては、故人の想いを尊重でき、後のスケジュールの立て方がスムーズに運べ、良いことが多そうだ。
 
 人々の意識も少しずつではあるが変化していってる。
 
 何が良いのか、悪いのかはわからないが、問題意識もなく世間がこうしているから、我が家も同じことをしておれば後ろ指をさされないで済む、という考え方に疑問を持つ人が増えてきたあかしであろうか。