国民栄誉賞

 内閣府は、元巨人軍の監督 長嶋茂雄氏と野球界引退を表明した松井秀樹氏の国民栄誉賞の同時受賞を発表した。
 
 お二人ともプロ野球の発展に尽くした名選手で、異議をとなえる人は少ないのだろう。
 
 どのマスコミもこの受賞について、とても祝福している様子が伝わってくる。
 
 しかし、私はどうして長島さんと松井選手なんだろう。
 
 そもそも国民栄誉賞とは、どんな功績を残した人が対象になるのだろう。なんて、いつもの悪いくせが頭の中に芽生える。
 
 プロ野球の実績からすると、400勝の金田投手、3000本安打の張本選手、生涯一捕手を貫いた野村捕手と、お二人よりもっと大きな実績を残した人は数多くいる。
 
 阿部首相個人の好みで、この賞が決まったのなら、いったい国民栄誉賞って、何なのだ?との疑問がつきまとう。
 
 大鵬幸喜さんにしても、亡くなられてからあわてて差し上げる。ご本人がお元気なときだったらどんなに喜ばれただろうと、納得いかないことが次々に頭の中を駆け巡る。
 
 王さんや衣笠さんの受賞については、お二人が前人未到の足跡を残した。このお二人が築いた金字塔は後に続く者にとって、はるか彼方にそびえ立つとどこうと想って努力しても近寄ることさえ出来ない偉大な足跡だ。
 
 だから、誰もが納得して受賞を祝った。
 
 そこへいくと、今回の国民栄誉賞は、ノーベル平和賞が時々やらかす”ポカ”を連想させるのだ。
 
 例えば、わが国の佐藤栄作総理の受賞。非核三原則を唱えただけで受賞。その後、アメリカとの核持込の密約があったとか、なかったとか。
 また、オバマ大統領の受賞も笑えてくる。核の無い世界を目指そうとの演説だけで受賞したようなものだ。アメリカが世界に先駆けて自ら核を廃棄するはずは無い。
 
 こうなれば、こんな賞があることにどんな意味があるのだろうとさえ思われてくる。
 
 はじめに話を戻すが、日本人のメジャー挑戦の道を一人で切り開いた野茂投手が居る。
 彼は、2度にわたるノーヒット、ノーランの実績を残した。このことと、松井選手の功績を比べたら私は躊躇無く、野茂投手の方に一票を入れる。
 
 受賞の人選をするにあたり、国民の100%が納得することは無理なことだが、幅広くチェックしていけば、対象になる素晴らしい人はたくさん居るはずである。
 
 それを、総理一人の好み(?)で、決定されてしまうのならこんな国民栄誉賞なんて無くした方が良いのではないか。
 
 下手をすると、そのときの為政者の人気取りに利用されかねない。現実にそんなこともたくさんあったはずだ。