滅茶苦茶な教育界

 ここ数日、TVや新聞を賑わす話題の一つが、大阪市の市立高校の体罰問題だ。
 
 昨年は、大津のいじめの悲惨さが報道され、警察が動き出した。
 
 どちらも、関係する大人(当然教師をふくむ)が、まともな考え方、まともな行動ができておれば、防げたのではと、悔やまれてならない。
 
 同時に、無念の想いを抱き続け、誰にも救いの手を伸べてもらうことが出来ぬまま、自ら命を絶った少年たちが気の毒でならない。
 
 事件が表ざたになるたびに、TVの画面で、言い訳をしたり頭を下げたりしている学校や教育委員会の幹部達。
 この連中を見ていると、こんな無能でバカな連中に、前途ある青少年の育成をゆだねなければならないというわが国の教育界の貧困さに、寒気が身体を包みゾオーッとしてくる。
 
 昔から”子どもは国の宝”といわれて、どこの国でも大切に育てられてきた。特に、わが国では少子化の波は、もう、治まることはないであろう。
 
 それだけに、どの子も宝として大切に育み、将来の社会を背負える人材として成長を楽しみにするというのが、社会通念では無かろうか。
 
 報道によれば、この体罰教師は、この学校に18年間も継続して勤務しているそうなのだが、公立の学校では考えられないことである。
 
 バスケット部を強豪チームに育て上げることと、前途ある少年の命の重さを天秤にかけるわけにはいかないが、スポーツを盛んにして有名校になろう。或いは、生徒募集のカンフル剤として活用しようという、発想自体が幼稚で心が貧しく、こんなことしか考えることが出来ない教育界の連中は、一日も早くわが国の教育の世界から消えて欲しい。
 
 私の周りにも、「鉄は熱いうちに打て」というお題目を何も疑う姿勢を持たず、妄信している輩も存在する。
 
 しかし、時代はどんどん変化する。昔の規範をなんの疑いも持たず信じて、旧軍隊のしごきではないかと、錯覚さえおこしそうな体罰を実施するしか能の無い暴力教師は、自分の愚かな行為が、一人の少年の命を奪う重大な要因になったことを、猛省して欲しい。
 
 即、この学校の幹部、教育委員会の幹部はこの教師と共に、教育の世界から消えて頭を丸め、一生かけて償いをすべきである。