幻影の彼方(68)

 久賀管理官を筆頭に、捜査本部のベテラン刑事など、大勢の捜査員たちの視線を浴び、長谷部は緊張した顔で前へ進んだ。
 ボードに、熊本県阿蘇地方の大きな地図を、貼り付ける手先が細かく震えている。長尾はそばで、そんな初々しい長谷部の態度を好ましく見守った。
 長谷部は、軽く会釈して挨拶を済ませ、差し棒を右手に説明を始める。
「はな阿蘇美から、秋元青年たちが目撃した、産山ビレッジの駐車場までは、”やまなみハイウエイ”を通りおよそ25分前後で到着できる距離であります。産山ビレッジから殺害現場のヒゴタイ公園までは、5~10分あれば移動できます」
ヒゴタイ公園で、毒物を飲ませて殺害、その後、遺体を車のトランクに運んだと、仮定すると、話し合いの進み方にもよりますが、1時間もあれば充分に犯行は可能だったと、推量されます」
「つまり、犯人には2時間の間、自分の代わりに”影武者”をはな阿蘇美周辺でウロチョロさせ、そこに居たことを複数の第3者に印象付ければ、完全だと思われるアリバイ工作が完成したことになったのです」
「はな阿蘇美を離れるときと、はな阿蘇美に帰ってきたときは、人目につかないところで、”影武者”と入れ替わり、サングラスをはずしながら、何気ない様子で施設の従業員へ話しかけたというわけです。その後、5時から行なわれる宴会へ顔を出すために、何食わぬ顔でホテルへ戻ったのだと思います」
 若くて経験の浅い長谷部が、額の汗を拭きながら説明を終えると、捜査員の中の一部から拍手の音がなり始める。それにつられて会場には、大きな賞賛の声が広がった。
 久賀管理官が立ち上がり
「そういうわけで菅野のアリバイは無くなった。これから、菅野と木田の身辺を洗いなおして、二人の関係を詳しくつかむこと。さらに、被害者との接点、犯行の動機など、探られることを、可能な限り探った上で逮捕に向かいたい」
 そばから田代警部が
「村井のように、黙秘を決め込むことも、予想しなければならん。出来るだけ有無を言わせずに自供に持っていけるような物証をつかみたい。みんな解決はすぐそこだ。頑張るのだぞ!」
 会議が終了して、持ち場へ戻ろうとしている長尾と長谷部は、管理官から声をかけられた。
「長尾君、長谷部くん、ご苦労だったな。君たちの奮闘のおかげで、逮捕が身近に迫った。これからも、事件の全体像の解明へ、小さな山がいくつも待ち構えているだろう。最後まで気を抜かず頑張ってくれたまえ」
 上機嫌の管理官の、労をねぎらう言葉に長谷部は素直に喜んだ。
 長尾は、事件が解決した後、どんなドラマが展開していくのかが気になり、複雑な想いを胸に溜めるのだった。
 
 午後になって、熊本県警から連絡が入った。
 それによると、木田はダーツ・バーに通ってくる若者を中心に、執行猶予中にもかかわらず、怪しい薬物の販売を手がけているらしいこと。どうやら、そのバックに菅野の存在があるのではなかろうか。木田については、県警の生活安全部が目下、内偵中とのことであった。
 さらに、木田の顔写真と全身を写したものが送られてきた。
 それを見た長尾は、安川のところに駆け寄り
「警部補、これを見てください。顔は全然違いますが、体型や全体の雰囲気は、菅野と良く似ているとは思いませんか?」
「そうだな、これに帽子をかぶせサングラスをかけたら、初めての人は見分けはつきにくいだろうなあ」
「これで、同じ服装でうろついたら、皆さん、同一人物だと騙されますよねえ」
「ところが騙されないのが一人居たんだなあ。それが、お前さんだ。いやあ、よく気がついてくれたよ。それに、何気ない婆さんの一言、あの菓子袋の一件だが、あれを聞き逃さなかったことも、たいしたもんだ」