幻影の彼方(66)

    幻影の彼方
 
 安川の言葉どおり、長尾は夢見る暇も無いほど、ぐっすりと眠ったらしく、いつもとは逆に安川に起こされた。
「よく眠っていたなあ。毎日あちこちと遠距離を飛び回るので、さすがの君も疲れが溜まってきているのかな」
「すみません。警部補に起されるなんて不覚です」
「何が不覚だあ。いくら若いといっても、人間は適当に休養を取りながら頑張らないと、いき潰れてしまうぜ」
 よく眠れたのが良かったのだろう。長尾は腹いっぱいの朝食を済ませ、安川と中央署へ気持ちよく向かうことが出来た。
 中央署へ着くなり、谷口巡査部長がやって来て
「安川警部補、もう、お身体は回復できた出来たのですか?ああ、長尾さん、鑑識があなたを探していましたよ」
 二人はそんな谷口に軽く挨拶して、捜査本部のある会議室のドアを開ける。中から、昨日、菓子袋を預けた若い鑑識員が近づいて
「長尾さんから預かった、あの菓子袋から面白い指紋が検出できました」
「エッ、面白いとは、菅野の指紋が付いていたとか・・・」
「いいえ、そうじゃあないのです。菅野の指紋は検出できませんでした。その代わりというか、思いもしなかった前歴者の指紋がヒットしましたよ」
「どんな指紋ですか?もう少し詳しく説明をお願いいたします」
 長尾は鑑識員からどんなことが聞けるのか、はやる気持ちを押さえながら彼の口元を見つめる。安川も興味津々の表情で鑑識員の口から飛び出すであろう、次の言葉を待っている。
「熊本署で、不法薬物の売買で摘発された、木田という男の指紋です。それと、こちらのデータベースでは、調べられない指紋も検出できました」
「木田・・・、えーと、木田という名前は、どこかで聞いたか、見た記憶があります。他の調べられない指紋というのは、多分、福の神のところのお婆さんやかど屋の店員のものでしょう」
 そばから安川が
「それはあれだよ。門脇の娘さんが届けてくれた、メモ用紙に載っていた5人目の名前だよ。はじめは大田か本田ではないかと、村井建設関係で同姓の者をチェックしたけど、何も出なくてこいつだけ正体が判らないままだった。そのうち、誰かが『これは、木田とも読めますねえ』と言い出したんだよなあ。たしか、こいつのとこだけ印が付けてあったよなあ」
 と、云いながら例のメモ用紙のコピーを探す。
 そのメモのコピーには、たしかに、大田、本田の名前のあとに、木田との走り書きと、?マークが安川の手で書き込まれてあった。
 長尾は興奮を抑えられず、大きく深呼吸して落ち着こうと、懸命になった。
 安川は
「このメモの5人目は、木田で間違いないだろう。門脇は、こいつと本ホシの関係を洗うため、これに木田の名前を書き込んでいたのだな」
 自分に言い聞かすように、静かに言葉を続けた。
「あとは、菅野と木田のつながりを調べることだ。それがはっきりすれば、共犯関係が成立して、菅野のアリバイは崩れたことになる」
「今度も、長尾君の大手柄だなあ。裁判所に”切符”の手配もできるぜ」
 そこへ話を聞きつけた、久賀管理官と田代警部がやってきた。
「長尾君が昨日持って帰った菓子袋から、とんでもない指紋が出たそうじゃあないか」
 管理官の言葉に続き、田代警部が
「長尾くん、これから開く捜査会議で、みんなに説明を頼むぞ。今度こそ間違いなく逮捕できそうだな」
 ここで、二人はやっと安川に気が付き
「やあ、警部補、出て来れたのだな。良かった、良かった。しかも、君のところの長尾君の大手柄だ。万々歳だなあ」
「ご迷惑をおかけして、済みませんでした。また、今日から頑張ります」
 その頃から、ぞくぞくと集まった捜査員たちは、いくらか説明を受けていたのか、好奇心むき出しの顔つきで、会議が始まるのを待った。
 長尾は、長谷部に約束したことを思い出し、先ず最初に、長谷部に結果を知らせようと、会議室を出て彼を探した。