幻影の彼方(65)

 長尾は、瑞希の思わぬ積極的な行動に、ビックリしながらも、心地良く感じられる夜気を一杯に浴びて、教えられた地下鉄の駅を目指した。
 駅には5分ほどで着いた。
 ホームに立つと携帯が鳴る。瑞希からのメールであった。
「誠ちゃん、落ち込んでいた私を元気にしてくれて、今夜は本当にありがとう。母もミホちゃんも、喜んでいました。これからはクヨクヨしないで何でも相談するから、私を受け止めてね。大好きです。・・・」
 メールの終わりには、ハートマークがいくつも並んでいる。
 長尾は、高校時代は陸上部に入り、地元ではかなり活躍して注目を浴びた時期があった。同じ部活の下級生とも仲良くなり、卒業してからも付き合いは続いた。」
 しかし、長尾が警察官になり、警察学校へ入学して三月も経たないうち、その娘との交際は、相手のほうから打ち切られた。
 どうやら、警察学校に入っている間に、彼女に新しい恋人が出来たらしかった。長尾自身、それほど落ち込みはしなかったが、それが原因かどうか、それ以来、女性との付き合いには関心が薄れていった。
 刑事として働き出してからは、犯人を追いかけることに情熱は傾けられ、女の子と交際する余裕が無かったことも、事実であったろう。
 母親は、早く家庭を持って欲しいと、休暇をもらって帰省するたびに
「誠ちゃん、どこそこの何という娘さんは、良い娘さんだよ。一度会ってみらんね」
 などと、お見合いを勧めるようになり、それが煩わしくなった長尾は、ここのとこ久しく里帰りを控えているのだった。
 今度の事件を追いかける中で、知り合った瑞希については、何か特別な気持ちが胸中に広がり、瑞希のことを意識する割合が高まっていく。
 初めは可愛い娘だな、くらいの気持ちだったのが、仕事で壁を感じたり、一人で感動する場面に出くわしたりすると、心の奥にはいつも瑞希が居るのを自覚する長尾であるといえた。
 安川は、そんな長尾の気持ちを理解して、刑事という立場を無視して、長尾の背中を後押ししょうとする。
 長尾も、そんな安川の援護射撃を、迷惑には思わなかった。
 瑞希への想いが強くなればなるほど、長尾の心に不安が高まる。
 門脇が”強請り”という犯罪に手を染めていたとして、今度の事件がそのことから始まっているとしたら、・・・と。このことが頭から離れない。
 長尾は、ガラガラに空いた地下鉄に乗り込み、瑞希への返信メールを慣れない手つきで打った。
 ホテルへ帰り着くと、安川はまだ起きていてTVを見ていた。
「やあ、お帰り。彼女とは楽しい時間が過ごせたかい」
 長尾は、安川の問いかけに言葉をにごし、
「まだ、休んでは居なかったのですね。身体は充分回復しましたか?」
「ああ、薬が効いたようだ。おかげでずいぶん楽になったよ。明日からは、また、犯人を追いかけるぞ」
「良かったなあ。警部補が元気で一緒じゃないと、僕のエンジンも掛かりにくいんですよ。さあ、明日からもうひと頑張りですねえ」
「君も今夜はぐっすり寝て、鋭気を養ってくれ」