幻影の彼方(62)

 そんな長谷部の胸中を察したのか、長尾が近寄り
「長谷部さん、今日はありがとうございました。鑑識の結果を待たないと、恥ずかしくて詳しい話は出来ませんが、もし、期待通りの結果が出たら、あなたに一番に報告させてもらいます」
 長谷部には、長尾の自分に対する気持ちは、充分伝わってきたので
「私にあまり気を使わないでください。良い結果が出ることを祈ってますよ」
 云い終えて長谷部自身も、平素の自分に戻っていることに気がつき、思わず口元をゆるめていた。
 長尾は
「ちょっと電話してきます。私に何か連絡があったら、近くに居ますのでよろしくお願いします」
 会議室を出た長尾は、久しぶりに瑞希へ連絡を入れた、電話の呼び出し音が小さく聴こえてくる。携帯を置いて何処かへ云ったのか、瑞希からの反応はない。
 あきらめて会議室へ戻り、鑑識が何か云って来ないかと、待つことにする。
 10分、20分と時間が過ぎる。手持ち無沙汰の彼が、あらためて部屋の中を見渡すと、長谷部の姿も消えている。
 長尾は、長谷部が座っていた椅子の近くに置いてあった、地元の新聞に目を留めた。
 そういえば、今朝は新聞を読みかけたまま、放り出してきたなと、朝のことを思い出した。
 長尾は、新聞を手に取り社会面を広げた。すぐに長尾がドキッとするような見出しに釘付けになる。
 そこには、”門脇議員の黒い闇”という見出しが躍っていた。その横には、”愛人のホステスも惨禍に?”というクエスチョン・マーク付きの袖見出しが並んでいる。
 長尾が事件を捜査していくうちに、いつかはマスコミがかぎつけてセンセーショナルに報道するのではないかと、危惧していた内容の記事であった。
 殺害された市会議員の門脇が、自分の情報網を通じて得たことのうち、一部を恐喝の材料に利用していたのではないか。さらに、伊都ヶ浜で殺されたエトワールのホステスと門脇の関係に触れ、愛人を利用して情報を得ていたのではないか。 
 このような、憶測の記事ともいえることがらが書かれてあった。
 香澄との関係は、警察の発表が無くても、エトワールの関係者に聞き込みを入れれば、ある程度のことは、無責任な記事として書くことは出来る。
 記事は紙面の中央に、3段に渡って掲載されていたので、少し注意して紙面に目をやれば、誰でも気がつく。
 ただ、門脇も香澄も異常なほど、関係を隠して行動していたので、同じ職場の仲間も”あの二人は怪しい”程度の推量しか出来なかったのであろう。
 記事は、”~ではなかろうか”というような書き方で、断定した物言いにはなっていない。しかし、この記事を読んだ人は、門脇がこのような犯罪に手を染めていたと、思わせるには充分な内容であったともいえる。
 とうとう一番恐れていたことが、現実のものになった。自分はこれからどのような態度で瑞希に接すればいいのだろうか。
 すぐには答えの出ない不安が、長尾の頭の中を駆け巡る。
 さっき、瑞希に電話して出てくれなかったのは、この記事が原因だろうか・・・、など、次々に気になり始める。
 そのとき、長尾の携帯がなり始めた。
 電話は瑞希からであった。長尾が電話に出るなり、受話器からすすり泣く瑞希の声が聴こえてくる。
瑞希さん、どうしました」
「ああ、長尾さん、今朝の新聞を見ました?」
「今、帰ってきて読んでいるところです」
「父は本当に、記事に書かれていたようなことをしていたのでしょうか」
「あれは、確証のない書き方ばかりで、断定した内容にはなっていません。一部のマスコミの憶測記事に左右されず、出来るだけ冷静でいて欲しいのですが・・・」
 瑞希は、電話の向こうで再び啜り泣きを始め、長尾の問いかけに反応してくれない。
瑞希さん、こんなことを電話で話すのは無理です。何処かで会えませんか?少しの時間なら取れそうなんです」
 電話口の向こうから、躊躇する様子が伝わってくる。そばに誰かが居るようだ。
 瑞希は嗚咽の声を抑えながら
「長尾さんが、私の家に来てくれるのが、一番なのですが・・・」
 どうやら、そばに居るのは母親の君子のようであった。小さな声だが、瑞希にそばで助言している様子だ。
「夜なら時間が取れそうです。それでいかがですか?」
「私、早く長尾さんに会いたいけど、忙しいのですよね。夜までお待ちしています」
瑞希さん、元気を出してください。どんな結果が出ても、お父さんはお父さん。あなたはあなたなんだから・・・」
 長尾は、こんな日が訪れることを、一番心配していたのだが、いざ、そのことに直面すると、何もしてやれない自分の無力さを、思い知らされるばかりであった。