幻影の彼方(58)

 3人は”福の神”を後にして、右手に田園が広がる細い道を進んだ。人家がポツポツと並び、10分ほど歩いたら銀行や医院に混じり個人商店が点在する、賑やかな通りに出る。
 都会の商店街とは違い、アーケードなどがない広い道路の両脇に、いろんな店が並んでいる。中には、商店のとなりにホテルなどもあり、独特の雰囲気を創り出している。
 目指す”かど屋”という店はすぐに見つかった。
 店内に入り、写真を見せて聞いてみると、あのお婆さんたちと同じで、サングラスをかけたように目元を塗りつぶした全身写真を見て、間違いなく当人が袋入りのお菓子を3袋買っていったことが判った。
 菅野は、この商店街の店々をしばらく覗いたあとで、もと来た道を引き返して行ったらしい。
 店を出た3人の足取りが段々重くなる。
 どうやら、菅野が自信ありげに自分のアリバイをのべたことが、どこへ行っても証言され、当日、彼がヒゴタイ公園の方へ足を伸ばすのは、不可能だったことが実証されたように思えてくるのだ。
 3人が再び”はな阿蘇美”に帰り着き、時計を見ると、2時間以上が経過していた。
 店の前の掃除していた女性は、別の人に代わっていた。今度は先ほどの人よりふた周りは若い女性で、ゴミ箱などを片付けている。
 長尾が念のため写真を見せると
「この人から、22日の4時ごろ、ここでいろいろ聞かれましたよ」
 との返事が返ってきた。
 この女性に、菅野の顔だけの写真を見せるが、特別な反応はなく、ごく普通に受け答えする。
「この人はサングラスをかけていましたか?」
「こちらに近寄りながら話しかけてきて、サングラスをはずしました」
「どんなことを聞かれたのです」
「日曜日は、いつもこんなに人が多いのか、とか、どこからのお客さんが一番多いかなんてことを聞かれました」
 3人は、これで菅野のアリバイが完ぺきなことを思い知らされる気分になった。
 
 福都中央署へ引き返す3人は、車中で自然に無口になる。
 疲労はピークに達し、安川の横顔は疲労による、輝きの無い皮膚の色が広がっている。
 車中で、長尾は祐ちゃんに電話を入れた。
 祐ちゃんが、産山ビレッジの駐車場で目撃した人物は、誰だったのか、もう一度確かめたかったのだ。
 祐ちゃんは電話口で
「そう云われると、何だか自信をなくします。僕が見たのは、ほんの一瞬でしたから、他の似た人と見間違えたのかも知れませんねえ」
 こうなると、長尾にも菅野を犯人として結びつける他の事情が、皆目つかめていないので、自分たちはまるで見当違いのことを、追いかけているのではないかと、不安が広がってゆく。
 今朝、勇んで福都署を出発したときと、あまりに違う気分の落差は、中央署へ帰り着くと、すぐさま、他の捜査員たちへ気づかれた。
 3人を気遣う捜査員たちは、あえて、熊本行きの結果を尋ねてこない。
 そのことが、長尾にとっては、かえって、針のむしろに座らせられているような、心の傷みになって跳ね返ってくる。
 報告へ顔を出したとき、久賀管理官は
「そうか、それだけ完全なアリバイがあれば、今の時点で菅野を引っ張ることはできないなあ。しかし、君たちが気落ちすることは無いぞ。なんと云っても、菅野と村井が実の兄弟であるという事実は重大だ。今度の事件で二人が大きく係わり合いを持っているという疑念は捨てられない。必ず、どこかでつながっているとみて良い」
 3人は、久賀の意見を聞きながら、落ち込みかけた気持ちを奮い立たせる久賀管理官の言葉に深く頭を下げるのだった。
「いざとなれば、村井の方の証拠はたくさん握っているので、村井だけを先に送検ということになるかも知れない。あまり長く拘留しておくわけにもいかないしな」
 安川が、
「管理官の先ほどのお言葉に元気付けられました。私も菅野が本ホシとの疑惑は捨てていません。アリバイ工作のウラに何があるのか、頑張りぬいて調べてゆきます」
 会議室でも、田代警部以下、意気消沈した捜査員たちの表情が、重い空気をよどませていた。
「今日は、宿へ帰ろう。身体を休めて出直すぞ」
 安川は長尾をうながして、捜査本部を引き揚げた。
 長尾は、ホテルへ帰りベッドに身を横たえ、独り言のように、安川へ話しかけた。
「警部補、菅野の車はBMWでしたよねえ。それも、濃いブルーの・・・」
「そうだよ。俺も間違いないと、今日は張り切って熊本へ出かけたのに、こう、完ぺきなアリバイを示されては、どうにもならなかった」
「私は、秋元くんの証言は信じて良いと、今でも思っています。車もさることながら、チラッと見たとは云っても、間違いなく菅野を見ていると、確信していますよ」
「それでも、あの日の午後2時ごろ、産山村に姿を現すことは不可能だよ」
 安川もベッドに寝そべり、天井を見つめながら長尾の相手をした。
「ところで、君は、最近あの娘とは連絡をとってないのだろう?その後、どうなっているのだい」
「はあ、少し気がかりなんですが、今の状況では、連絡しても会えませんしね」
「そうだよなあ。このヤマが片付かない限り、女の子とデートなんて、考えられないよなあ」
「いつも、気になってはいるのですが、彼女の親爺さんのことを考えると、最近は会えても、どう声をかけたら良いのか、考え込んでしまいます」
「お前さん、彼女が好きなんだろう?」
「大好きです。でも・・・」
「でも、なんだい。好きならこのヤマが終われば、堂々と告白すれば良いじゃないか」
「果たして、彼女は僕のことを受け入れてくれるか、心配になりますよ」
 安川は、若いふたりのことを、軽く考えていたが、長尾には、まだ口には出来ない気がかりなことが、いつも、心の奥に沈みこんでいた。