幻影の彼方(57)

 3人は外へ出て、建物の前を掃除していた中年の女性に
「あなたはこの人を、先月の22日に見かけましたか?」
 と、聞いてみた。
「その日は、子どもが熱を出して、私ここを休みました」
「この辺りでブラブラ散歩というと、皆さんどこを回りますか?」
 安川の問いに
「そうですねえ。ここを出て”福の神”へお参りする人が多いですね」
「そこは近いのですか?」
 中年の女性は指差しながら
「ほら、あの道へ出て、真っ直ぐに行けばすぐに着きますよ」
 女性に教えられた方へ足を向けると「福の神・大黒天」と書かれた大きな案内用の”のぼり”がたくさん道脇に立っている。
 矢印の方へ進むと、小さなお堂のようなものが見えてきた。
 小さな囲いをした出店のようなものがあって、お札や地元で育てた植木などを販売しているその奥に、「福の神」と書かれた紙の札が貼られ、地蔵様のような仏像を安置している祠が目に入る。
 地元の老人であろう。店番の男の人が、ニコニコ顔で挨拶してくる。近くで近所に住んでいると思われるお年寄りが、3人こちらを好奇の目で眺めている。3人とも80歳前後のいかにも元気そうな女性だ。
 安川が近寄り
「こんにちわ。この人が8月の22日の今頃、ここへきたと言うのですが、あなた方のうち見かけた人は居ませんか?」
「ううーん、知らねえな。見たコツはなかと」
 もうひとりのお婆さんは
「こげえな人は見かけたバイ。あごひげを手でさわらっしゃったのを覚えとるタイ」
 安川の頭に、大学病院の面会者用の部屋で事情聴取したとき、ふてぶてしい態度で、伸ばしたアゴのヒゲへ手を当てていた菅野の姿が浮かぶ。
 老人たちが迷っている様子に
「こちらの写真ではどうですか?」
 長尾は、菅野の全身が写る写真を取り出して、お婆さんたちに見せた。
「サングラスをかけていたので、顔だけを見せられたら判らなかった。帽子もかぶっていたしねえ。このような人なら22日の日曜日に、ここへ来たよ」
 3人のお婆さんたちは、いっしょに答えた。
 長尾は、すぐさま写真の目もとを、サインペンでサングラスをかけたように塗りつぶし、帽子の形を聞く。頭に帽子を被せた姿に変えて、再び老人たちに見せた。
「このような人でしたか?」
「そうそう、間違いなかぁ。あんた絵が上手かつねえ」
 老人達は、今度は全員がはっきりと答えてくれた。
「よく覚えているのですねえ」
「そら、そうだよ。『この福の神は、どんなことにご利益があるのか、とか、これをお参りして宝くじに大当たりした人は居るのか』など、しつこく聞いたから覚えているっタイ」
「その時間は何時ごろでしたか?」
「今頃っタイ。2時を回っていたと思うよ。なあ、トシちゃん」
 トシちゃんと呼ばれた白髪の元気そうなお婆さんが、相槌をうつ。
「それから、この人はどうしましたか?」
「あっちの商店街の方へ、歩いていったよ」
「それがねえ、その後が面白かタイ。一時間ぐらいして、また、戻ってきたトヨ。わし達にお土産をもって・・・」
 一瞬、老人たちが何を言ってるのか、理解できなかった3人の刑事たちは、顔を見合わせた。
 その様子に、写真を指差しながら、トシちゃんがさらに説明を付け加える。
「こん人がねえ。おばあさんたちに、いつまでも元気でいて欲しいから、と云ってお菓子を買ってきてくれたとバイ」
「へえ、それはまた、ご奇特なことで・・・」
 安川が、あきれた表情で、3人の老婆を見つめた。
 脇から、今まで黙って話を聞いていたもう一人が
「わしは、お彼岸に娘が孫を連れて里帰りするので、袋を開けないで、仏壇にお供えしとるよ」
「わしやあ、すぐに食べてしもうたわ。嫁は、気がつかんふりして、オヤツをくれんから、腹が減って何か食べたいと思うチョって、タイミングが良かったけんねえ。ファ、ファ、ファ~、・・・」
 抜け落ちた歯の隙間から、空気を漏らしながら笑う、元気そうな老婆に
「そのお菓子を売っている店の名前は判りますか?」
「お菓子を買うなら、かど屋に決まっとるバイ」
「かど屋というのは、すぐに判りますか?」
「ああ、大きな看板が出とるから、すぐに判るっタイ」
 安川たちは、お婆さんたちに礼をのべ、商店街へと足を運んだ。