幻影の彼方(56)

 その頃、安川たち3人の捜査官は、熊本を出発して片側一車線のカーブの多い道路を、阿蘇市の内牧温泉へ向かって車を走らせていた。
 内牧には、熊本から大分市へ続く国道57号線を東へ、大分方面を目指して走り続ければよい。
 3人を乗せた車は、1時間半ほどで阿蘇市に入り、阿蘇の外輪山を望む一ノ宮というところで左折した。田園の中を国道212号線が真っ直ぐに延びる。道脇には「内牧温泉」と書かれた、大きな看板がそびえるように立っている。正面の先の方にホテルや旅館らしき建物が、ポツンポツンと点在するように広大な盆地の中に見えている。
 遠くには、この広い田園地帯を取り囲むように、何十キロにも及ぶ壮大な阿蘇の外輪山が広がる。その姿はまるで、長尾たちの行く手をさえぎって、お前たちの力では太刀打ちできないぞと、思わせるような巨大な屏風の壁のようであった。
 内牧温泉は、文豪・夏目漱石与謝野鉄幹、晶子夫妻が好んで立ち寄った温泉地で、広大な田園の中に、何十軒もの温泉旅館やホテルが立ち並んでいる。
 菅野が云ってた”はな阿蘇美”という、地元の生産物の直売や、何種類ものバラを育てるための大きなガラス張りの建物が設置された、道の駅のような施設はすぐに見つかった。
 広い駐車場に車を止め、中央の”物産館”と書かれた看板を見上げながら、レストハウスのような建物に入る。
 3人は休む間もなく手分けして、菅野の写真を見せながら従業員への聞き込みを開始した。
「ああ、この人なら、22日の1時半ごろ、たしかに、ここで買い物をしていましたよ。このあごひげが印象的だったので、よく覚えています」
 従業員の一人が答える。
「ねえ、サッちゃん、あなたこの人が注文した、バラの鉢植えの発送を受け付けたわよねえ」
 サッちゃんと呼ばれた若い女の子は、写真を見せられてうなずく。
「この人が、『関西に送りたいのだが、それはできるか?』と聞いたので、送り状に宛名などを書いてもらい、私が手続きしました」
「この人は、当日どんな様子でしたか。何か変わった様子などは、ありませんでしたか」
「初め、帽子を深めにかぶり、濃いサングラスをかけてここへ入ってきたので、少し怖い感じがしました。でも、送り状を書くときは、サングラスをはずして丁寧にボールペンで、名前や送り先の住所などを書き込んでいました。字も上手で、話し方も柔らかくて、私、ほっとしたのを覚えています」
「その送り状は、今でも保管していますか?」
「すぐには破棄できませんので、ここにございます」
「良かったら、それを預からせてもらえませんか。ご迷惑はかけませんので」
「店長に聞いてきます。少し、お待ちください」
 しばらくしてサッちゃんは、店長をともない売り場へ戻ってきた。
 店長は、事情を理解してくれ、コピーをとって、現物の方を安川に渡してくれた。
 外で他の従業員に当日の事を聞きまわっていた長尾が、店の中に入ってきて
「この人の人相ですが、サングラスをはずしたときの印象はどうでした?」
 サッちゃんは、突然、若い刑事に話しかけられてビックリしたのか、少し言葉を上ずらせて
「普通のオジサンといった感じでした」
 長尾は、従業員のこの言葉を聞いて、彼は間違いなくこの店に立ち寄っているなと、確信した。
 念のため長尾は
「ここから、産山村というところのヒゴタイ公園までは、車で行くと、どのくらいの時間がかかりますか?」
 店長は
「そうですね。ここから57号線に出て、宮地駅前を左折してやまなみ道を進むと、遠回りになるし、信号や交通量が多いので40分ではむりでしょうね」
「もっと、早く行けるルートはありますか?」
「それは、ここを出てすぐに左折し、212号線を走り、大観峰経由でやまなみ道に出るのが一番です。このルートなら交通量は少なしし、信号も殆んどありません。30分あれば充分にヒゴタイ公園まで行けますねえ」