幻影の彼方(54)

    阿蘇・内牧温泉
 
 その夜、二人は倒れこむようにベッドに身を横たえ、何もかも忘れて眠りの世界へといざなわれていった。
 睡眠をたっぷりとった二人の捜査官は、気持ちの良い目覚めを迎えた。
 やがて、長谷部が到着して、安川たち3人は、熊本へと向かった。
 到着すると、先ず一番に熊本県警へ、挨拶と事前の打ち合わせのため、立ち寄る。
 県警の荒川という年配の警部が笑顔で現れ
「ご苦労さんです。福都市市会議員の殺害事件に、本市の、しかも、医師が関与しているのではないかとの情報には驚かされました。協力は惜しみませんので、困ったことがあれば、何なりとおっしゃってください」
 と、かなり好意的だ。
 挨拶の後、安川が3人を代表して
「大まかな被疑者の経歴は、頂いた資料から判りましたが、こちらでしか掴めない、本人にまつわる問題などは、無いのでしょうか?」
「そうですねえ。これまで、これといった悪い噂はあがっておりません。こちらも菅野医師が、殺人事件の被疑者になっていることに、ただ、驚いているばかりなのですよ」
「これから、任意で事情聴取ということになりますが、熊本県警のお手を煩わせることになると思います。どうか、よろしくお願いいたします」
「そのことに関しては、福岡県警の刑事部長さんから、連絡を頂いております。精一杯協力は惜しみませんので」
 その後、熊本県警の佐々木警部補の案内で、肥後学園大学へと向かうことになった。
 大学病院では、4人の警察関係者が現れ、菅野医師に面会を申し込んだので、こんなことに不慣れな、病院関係者はあわてふためいて、病院の事務長に連絡をとった。
 長尾たち4人が、面会者用の個室で待たされていると、事務長の橋本に付き添われて菅野が現れた。菅野の表情は、さすがに少し固くて、緊張の様子が長尾たちに伝わってくる。
 いきなり安川が
「先月の22日、日曜日のことですが、産山村ヒゴタイ公園というところで、福都市の市会議員である門脇洋三という人が殺害されました
。我々は、その事件を捜査しているのですが、当日、あなたが産山ビレッジというキャンプ場の駐車場で、門脇氏と一緒に居るところを、見たという人が居ましてね」
 ここまで一気にしゃべった安川は、一呼吸置いて
「そのことで、あなたから当日の様子を聞きたいと、うかがったわけです」
 しゃべり終えると、安川はまっすぐに菅野を見つめて、彼の様子を見守る。
 安川の話を聞いているうちに、気持ちが落ち着いたのか、菅野は
「先月の22日ですか。その日は阿蘇市の内牧温泉のホテルで、腎臓内科の学会が開かれ、それに出席していました。私は、産山村などには、出かけておりませんよ」
「産山ビレッジで、あなたを見たという人が居るのです。我々はこの人の意見も聞いて確かめる必要がありますからねえ」
「いったい、何時ごろの話しですか?」
「午後2時ごろだと、云ってましたよ」
「ああ、その頃は、私は内牧の”はな阿蘇美”という、地元の農産物などを展示即売している施設で、買い物をしていました。それから、周辺や内牧の商店街を散歩したりして、そこから一歩も出ていません」
「そのことを、証言してくれる人はいますか?」
「もちろんです。いろんな人と話しましたから、大勢の人が証言してくれると思います。どうぞ、お調べになってください」
「その、散歩の時間は、どれくらいでしたか?」
「そうですねえ。2時間ぐらいかな。5時から宴会が開かれましたので、その前にはホテルに帰っていました」
「ほう、やっと、盆が終わったころで、暑さが続いていたころですが、ずいぶん長時間散歩されたのですねえ」
「ええ、僕はゴルフなどをやりませんので、日ごろの運動不足がいつも気にかかっています。機会があればウオーキングなどで、運動不足を解消するようにしているのです。当日は、おかげで良い運動が出来ました」
 菅野は、話しが進むにつれ、さらに落ち着いて、短めに刈りそろえたあごにかけてのヒゲを、右手で整える仕草を続ける。その態度は、ふてぶてしささえ感じさせる。
 安川は矛先を変えて
「次の23日夕方から24日にかけて、あなたはどうしていましたか?」
 23日は、深夜にかけて、庄原市七塚原SAの近くの畑に、門脇の遺体が遺棄された日である。