幻影の彼方(49)

 次の日は、朝から雨模様であった。日照りが続きカラカラに乾燥した空気に辟易していた捜査員たちへ、気温の低下と潤いは、格好のプレゼントになったようだ。
 安川も朝から機嫌が良い。
「今日の湯布院行きで、ホシのめぼしがついた夢をみたよ」
「警部補でも、そんな夢を見ることがあるのですか」
「ああ、これまでの刑事人生で、何度、同じような夢を見たことか。犯人に襲われて、脂汗をかきながら目覚めたことも度々だよ」
 安川の話を聞きながら、長尾は、ふと、瑞希のことを想いうかべた。
 レストランで一緒に昼食をとって別れてから、一度も連絡していない。瑞希の方は、きっと、忙しい長尾を気遣って、連絡したいのを我慢しているのだろう。
 一日も早く事件を解決して、瑞希を安心させてやりたい。そして、瑞希と楽しいオフのひと時を過ごしたい。長尾の頭の中は、そんな想いで一杯になっていく。
「長尾くん、今日の活動開始だ。頑張ろうぜ」
 安川の言葉で我にかえった長尾は、照れくさそうな顔をを隠すように、フロントへ下りて行った。そこには早くも長谷部が迎えに来ていて、コーヒータイムとシャレていた。
 早速、長谷部の運転で、車は湯布院を目指して動き出す。
「長尾くん、昨日はどうして『若い方から聞き込みをしょう』と言ったのかね。なぜ、もう一組の家族連れの方を後回しにしたんだい?」
「もし、門脇さんたちを目撃しているとしたら、家族連れより若い方かな、なんて思ったのです。家族の中に小さな子どもでも居れば、親の注意はそちらにいって、他の人への関心が薄くなるかな?と、考えたものですから」
「なるほど、解かったよ。いつの間にか、君は刑事として、どんどん成長しているんだなあ」
 安川は、満足そうにうなずいて、腕組みを解かぬまま両目を閉じた。
 湯布院へ到着する頃には、雨は上がり青空が頭上に広がり始める。
 目指す若者の家は、金鱗湖という小さな湖の近くにある、お土産店であった。
 おとなうと、伊藤から連絡が入っていたのか、すぐに顔を出し
「ああ、福都から来た刑事さんたちですね。お待ちしていました。遠くからわざわざご苦労さんです」
と、そつがない。
 3人は、挨拶を済ませて、早速用件に入る。
「じつは、先月の22日、日曜日のことですが、産山ビレッジというところでのアポロクラブの野外パーティに、参加されましたね?」
「ええ、参加しました。僕たちは遅れて行って、メンバーに少し迷惑をかけてしまいましたが・・・」
 秋元健介という名前の若者は、それが・・・、なにか?というような顔で、3人の刑事を見る。
「あなたの他に、もう一人お友だちも居たのでしたね。あなた方が到着したとき、こんな人を見かけなかったかと、聞いてまわっているのですがね」
 安川は、胸のポケットから門脇の写真を取り出し、秋元へ見せる。
「ああ、この人なら観ましたよ。駐車場で美味そうにタバコをふかしていましたよ」
 いきなり、門脇の目撃証言が飛び出したので、3人は驚いて
「それは、間違いありませんね」
 と、聞き返す。
「ええ、間違いありません。僕一人が見たのではなく、一緒に行った友だちも見ていますから」
「その友だちというのは、何という方ですか?」
「同じ苗字で、秋元祐治といいます。苗字で呼び合うとややこしくなるので、名前で、祐ちゃん、彼は僕のことを健ちゃんと呼びます」
「そうですか。それで、この人を見たのは、22日の何時ごろでしたか?」
「僕たちは、2時間は遅れて到着したので、2時少し前だったと思います」
「そこには、この写真の人が一人で居たのですか?」
「そうです。僕たちと、別の5人の家族連れの人達が、ほぼ同じ時刻に着きました。すぐに会場の方へバーベキューなどの道具を運びましたから、特によく見ていたわけではありません」
 秋元は、ここで少し間を置いて、思い出そうという仕草を見せながら
「ああ、そうだ。会場へ先に道具を運んでいた僕に、祐ちゃんが追いついて『凄い車に乗って来て、キザな奴だ』と話しかけてきました。僕がどうしたんだ?と、聞いたら『BMWのすげえ高級なのに乗ってきた奴が居る』と言いながら、後ろを振り返っていましたよ」
「つまり、あなた方が会場の方へ移動する途中で、車がもう一台やって来たということですね」
「そうです。遠くからで、よく解からなかったけど、黒っぽいBMWのようでしたよ」
「その車に乗っていた人は、見えなかったのですか?」
「僕には見えていませんでした。そう云えば祐ちゃんは『どこかで見た顔だよなあ。思い出せないが・・・』と、不思議そうにしていましたねえ」