幻影の彼方(40)

 会議が久賀管理官のこの言葉でお開きになり、捜査員たちが街に散って行った頃、福都市中心部の大きな交差点で、直進車と強引に右折しょうとした車の事故が起きた。
 交通警ら隊の金森巡査部長が、パトカーのサイレンを響かせ現場に駆けつけた。
 直進車の正面は、ボンネットがくの字に曲がり、エンジンがむき出しになっている。運転席のエアバックが飛び出し、衝撃の大きさを物語っている。右折車はボディが大きくへこみ、後輪が歪んで走行不能の状態になっていた。
 幸い2台の車の運転者には、大したケガは見られないようだ。
 右折車の男が
「俺が右折しているとき、この人が正面からぶっつかって来た」
「いいや、直進車優先なのに、強引に右折したから避けられなかった。自分は何も落ち度はないぞ」
 双方が自分の主張を言い合って、険悪な雰囲気が漂っている。
 金森は、現場の交通渋滞が起らぬように、もう一台応援を要請し、いっしょに駆けつけた佐藤巡査と、双方の運転手から事故当時の状況を聞き始めた。
 免許証の提示を求めると、右折車の男が一瞬躊躇したのを、金森は見逃さなかった。
 右折車の男の免許証には、氏名欄に竹内誠と記されている。竹内誠というのは、谷口刑事から聞かされていた名前だ。たしか、見せられた小さなメモの中にあった名前であると、すぐさま思い出す。
 応援のパトカーが到着したところで
「竹内さん、トランクルームを開けてください」
 途端に竹内の表情が険しくなり
「交通事故で処理しているのに、トランクまで開ける必要は無かタイ」
 方言も飛び出し、食ってかかるように抵抗する。
「トランクの中を改める必要があるから、お願いしているのです」
「そこまで見せる義務は無か」
 頑なに、トランクを開けることを拒否しょうとする竹内に、応援の警官が近づいて
「なんなら、公務執行妨害で引っ張ろうか。そんなに見せたくないのなら、署まで来てもらってじっくり取り調べしても良いんだぞ」
 竹内は、これ以上は逆らえないと思ったのか、トランクルームを黙って開けた。
 中には、魚釣り用のクーラーボックスや釣竿、リールなどが乱雑に入っていた。
「ほう、釣りが好きなごつあるなあ。最近は何が釣れるね」
 ヤンワリと竹内に声をかけながら、奥のほうのビニール袋に入れられた衣類のようなものに、金森の目が留められた。
 そのビニール袋に手を伸ばそうとしたとき、竹内が
「やめてくれ、それは何でも無かタイ!」
 と、声を荒げトランクへ手を入れてくる。
 応援の警官が、竹内の前に回りこみ、素早くそれを阻止する。
「ははあ、見せたくなかったのは、これだったのだな」
 金森はビニール袋から、薄いブルーのワイシャツのようなものを、取り出し広げる。
 ブルーの長袖のシャツは、ヨーロッパの有名な一流メーカーのもので、竹内の今の服装とは、かなり違和感がある。
 金森はシャツの袖口を広げて
「ここに点いているのは、血痕らしいな。これは、署で調べさせてもらうぞ」
 竹内は、観念したようにおとなしくなった。