幻影の彼方(36)

「長尾くんと、こちらの長谷部刑事が、昨日、大分県から熊本県へかけての高原地帯で、門脇議員の殺害に関する捜査に出かけたわけですが、ヒゴタイ公園というところから持ち帰ったタバコの吸殻から、門脇氏の指紋が検出されました」 
 安川は部屋のドアを開けるなり、管理官へこれまでの経緯を説明し始めた。
 補足するように長尾が
熊本県産山村(うぶやまむら)というところに、”ヒゴタイ公園”という高原の花木を植え、訪れる観光客が観賞したり、景色を楽しんだりできる公園があるのです。そこに設置された空き缶からタバコの吸殻を10本ほど、持ち帰りました。そのうちの2本から門脇議員の指紋が検出されたのです」
「つまり、門脇議員が、その公園を訪れたことが、証拠立てられたというわけだな」
「はい、これから遺族にも問い合わせたり、そこを訪れる要因があったのかなど、ウラを取らねばなりませんが、誰も訪れそうに無いあの公園に、門脇氏がいたという事実は大いに注目すべきことだと思われます」
 続いて鑑識員が
「タバコの吸殻は、水に濡れないまま放置されれば、少しずつヤニが回り変色してゆきます。長尾さんから預かったものは、その色あいから、捨てられて2~3週間前のものだと考えられます」
「ガイ者が殺された8月22日と、符合するということなんだな」
 久賀管理官は立ち上がって、長尾に握手を求めながら
「長尾くん、でかしたぞ。ガイ者の殺害現場が特定されれば、捜査は一挙に進展する。吸殻が発見された附近の聞き込みをすぐにでも始めよう。その捜査には、当然のことだが君たちに出かけてもらうことになる。忙しくなるが頼むぞ」
 長尾は、
「あの辺りは、人影はまばらで途方も無く広い草原が広がっています。人家や施設も少なくて、聞き込みをおこなうとしても、ある程度の人数が必要だと思われます」
「その点は、これから安川警部補と打ち合わせして、人選していくことにする」
 久賀が話し終えるのを待っていた安川が
「長尾くん、この後エトワールの朱美にも会わなきゃあならない。君は今のうちに早飯を済ませておきなさい。これから、忙しくなるぞ」
「わかりました。先に済ませてきます」
 長尾はそのまま署の外へ出て、瑞希に連絡をとった。
あわただしい中、少しの時間も有効に使いたいとの想いで、瑞希が電話に出るのを待つ。
 多分、電話をそばに置き、長尾からの連絡を待っていたのであろう。折り返すように瑞希からの返事があり、署の近くのレストランで待ち合わせすることにした。
 瑞希がやって来るのを待ちながら、それが、30分にも1時間にも思えた。実際にはいくらも経過していなかったのだが、瑞希を待つ時間がそのように長く感じられたのである。
 瑞希は、短めのスカートにTシャツといった、フレッシュな姿で長尾の前に現れた。長くて白い足がとても印象的だ。
「長く待ちましたか?今日は連絡をくれてありがとうございました。あれから私、嬉しくて、嬉しくて・・・、長尾さんからまた電話がかかるのを、心待ちにしていたのですよ。母が私の素振りを怪しんだりして・・・」
 長尾の目の前で、ニコニコ笑顔を見せる瑞希の表情が、なんとも可愛くて、長尾はどう返事をして良いかわからなくなる。
「時間があまりありませんので、とりあえず食事を済ませましょう」
 長尾は、なんともトンチンカンな返事をしながら、ファミレスのドアを開けた。
・・・お父さんが災難にあわれた場所がわかるかもしれません・・・。と、瑞希に伝えたらどんな顔をするだろうか。今の段階では話すことは出来ないとわかっていながら、何とか力になってあげたいという想いが込み上げてくる。