幻影の彼方(32)
あずまやは、四方に柱を立て、中は三方が板張りになっていて、急な雨や強い陽射しを避けることが出来るようになっている、いたって簡単な造りの建物であった。
あずまやの横には、車を2~3台停めることができるスペースがある。どうやら農耕の際、軽トラなどを停め、荷物や農機具などを運び入れたりするために、こしらえた公園の管理者専用の駐車場のようであった。
シーズンオフといえるこの時期、誰も車は停めていない。
見上げると、管理棟の横から車が一台なら通れそうな細い道が、ここまで続いている。
長谷部が、
「ここでは、手がかりは何もつかめそうにありませんねえ。もう少し下の方を散策してみますか?」
長尾にも異存は無かったので、二人は下の方へ続く道を下り始める。
しかし、管理棟のところが一番高いところで、あとはなだらかな斜面が広がり、全体がどこまでも見通せる。このような地形で人が殺されたとは、考えにくい。
途中、長谷部が足を止めて
指差しながら阿蘇五岳の説明をしてくれる。
瑞希を案内してこのあたりを散策し、いっしょに弁当を食べている光景が頭に浮かぶ。
こんどの福都行きに当たっては、瑞希に何も連絡しないままの長尾だった。
事件の目鼻もついていないのに、女の子への連絡なんて、できるわけが無いと思い込んでいた。
事件を解決して、瑞希を誘ってここに来たい。そんな願望が長尾の胸中に広がった。
「ここが一番可能性が高いと思って、ご案内したのですが、手がかりは難しそうですねえ」
長谷部の言葉で、長尾は現実に引き戻された想いで、我にかえった。
「たしかにここは、現場としては前の2箇所よりも可能性は高そうです。一目にもつきにくいし・・・」
長尾は、長谷部の言葉に応えながら、空を見上げた。
澄み渡った青空に、白い航跡を残しながらジェット機がゆっくり東のほうへ動いている。
「あのジェット機に乗っていた乗客たちは、どこかで人が殺される様子を見ることができたのかなあ」
はるか上空の、点にしか見えないようなジェット機を見上げて、長尾はつぶやいた。
二人は残暑の中の行動で疲労を覚え、あずまやの方へと引き返した。
あずまやの三方に取り付けた、腰を下ろすための板の上に身体を横たえ目をつむる。見えぬ犯人と門脇はどのような状況のもとで対峙したのだろう。
長尾は犯人になったつもりで考え続けた。
一番に考えられるのが、門脇が犯人を強請っていたのではないかという、疑惑であった。このことは、瑞希のためにはもっとも考えたくないことであったが、事件の背景を組み立てていこうとすれば、どうしてもそのような結論になってしまう。
強請られた犯人はそこでどういう行動にでるのだろう。
金を一度でも払えばそれが新たな弱みになって、相手の要求はさらにエスカレートするだろう。それを食い止めるためには、強請ってくる相手を葬るのが最大の防御になる。
その結果、門脇は殺されたのか?
考えに夢中になっていて、ふと、気がつくと、長谷部のいびきが聴こえてきた。若い彼も強行軍で、疲れが出たのだろうと思わず同情してしまう。
それにつけても自分の身体は頑丈に出来ている。両親に感謝しなきゃあなんて、日ごろは気づきもしないことを思う長尾でもあった。
そのとき、あずまやの入り口の柱のそばに、直径が20センチほどの空き缶が目に入った。長尾は起き上がり、空き缶を覗いた。
どうやら、タバコの吸殻入れのようだ。中には10本ばかりの吸殻が捨てられていた。
長尾は、近くで見つけた細い棒切れを、箸の代わりにして吸殻を掴み上げ、取り出したハンカチへ丁寧に包んだ。
うしろから
「長尾さん、何しているのですか?」
と、目を覚ました長谷部が声をかけてくる。
「可能性は限りなく低いと思うけど、ゼロではないので、この吸殻を調べてもらおうと思ってね」
「それから、新事実が出てくるといいのですがねえ」
気がつくと時計は4時近くになり、高原の涼しい風は冷たさを運んできていた。
気がつくと時計は4時近くになり、高原の涼しい風は冷たさを運んできていた。
「今日はそろそろ引き揚げましょうか」
長谷部の言葉にうなずいて、長尾は車の方へ移動することにした。