幻影の彼方(30)

 この意見には、久賀管理官がすぐに反応して
「そうなんだ、ガイ者がどこで殺されたのかは、まだ判っていない。門脇の身辺を洗いながら、その他で、手がかりが少しでもあればその方面の捜査も無視できない。殺害現場が特定されれば、そのあたりの目撃者捜しから突破口が開ける可能性は、充分に考えられる」
 管理官は、長尾の方を見ながら
飯田高原あたりの地理は、庄原署の人だけで探索するのは大変だと思う。この件は。長尾くんとうちの長谷部くんに、現地へ向かってもらうことにする」
 こうして、エトワールへの聞き込みや、伊都ヶ浜の松林での不審者や不審車両の目撃などの情報を集めるための、担当者が次々に決められていった。
 会議の後、
「中央署の長谷部です」
と、長尾よりさらに若そうな青年が、長尾に声をかけてきた。
「僕は、飯田高原のある九重町(ここのえまち)というところの出身なのです。あの辺の地理に詳しいということで、長尾巡査部長に同行しろと、管理官から指令を受けました。どうか、よろしくお願いいたします」
 長谷部の年令は25歳、今、巡査部長への昇進試験を受けるための勉強中だとのことであった。
 長尾は一目で、長谷部の素直そうな態度が気に入り、挨拶を返した。
「ここに飯田(はんだ)から瀬の本高原へかけての地図があります。まず、これで目的範囲を絞り込みましょう」
 長谷部は、九州中央部が載っている大きな地図を広げて、説明に入った。
 
 飯田高原(はんだこうげん)へは、福都市から高速を利用して、2時間ちょっとで到着した。長者原(ちょうじゃばる)という高原特有のサラサラした空気に包まれたところの駐車場に車を止める。
 そこは、同じような高原地帯で生活する長尾を圧倒するに充分な、広大なスケールのリゾート地だった。
「福都市と違い、気持ちの良い風が吹いていますねえ。それに凄い景色だなあ」
 長谷部は得意そうな顔で
「このあたりの標高は1000メートルです。ここに降り立つと汗が一度に引っ込む感じでしょう」
 長尾は、中国山地とは景色がまるで異なる周りをキョロキョロしながら、気持ちの良い高原の空気を思い切り吸い込んだ。
 目の前にそびえる高い山々、風に揺れる茶色のススキ、行き交う登山姿の人や普通の姿をした観光客の多さに目を奪われる。
 歩きながら長谷部は
「ここは、タデ原といいます。数年前、ラムサール条約に登録された、自然豊な湿地がこの先へと広がっています」
 駐車場からすぐのところに、広大な草原があり、中央に設置された木道の上を、カメラ片手の観光客が、何組も歩いている。
「あの煙の出ている山は、火山なのですか?」
 長尾が、目の前に広がる高い山々に挟まれる格好で、茶色の山肌をむき出しにした、白い噴煙を上げる山を指差した。
「あれは、硫黄山と云って、十数年前に火山爆発を起こした活火山です。こういった火山活動のおかげだと思いますが、この辺りは温泉がいたるところで湧き出しています」
 長谷部は地元のPRもかねて、長尾の質問に応えた。
 長尾は木道の端っこに佇んで、飯田高原を取り囲む壮大なスケールの山々に、魅了されていった。
 そんな長尾の気持ちにお構いなく長谷部が
「ああ、ありました。これがヒゴタイです」
 と、長尾を現実に引き戻す。
 長谷部が指差したところには、瑠璃色をした直系が5センチほどの球形の花を付けた植物が、風に揺れていた。花の下にはトゲトゲのアザミに似た葉っぱが見える。
「これが、ヒゴタイなのですねえ。なるほど、これじゃあ、葉っぱだけを見ても、アザミと区別は出来ませんねえ」