幻影の彼方(27)

 車中では、ハンドルを握る長尾を気遣って、安川はうしろの席に座っている瑞希に、当たり障りの無いような話題について話しかける。
 長尾と二人だけなら、事件についての方針や見通しなど、話し合いたいことは山ほどある安川であった。しかし、瑞希が同乗しているので、事件がらみの話題は口には出来なかった。
 そうなると、若い娘にどんな話をして良いのか、思わず口が重くなる。
 つい、門脇との思い出や、人となりなど、話題が限られてくる。
 父との思い出などを話す瑞希は、たびたび、言葉をとぎらせ、下を向いて押し黙る。
 ミラーに映る瑞希の様子に目をやりながら、長尾は中国路の風景が広がる車窓に目を向けて、山口県広島県の観光地や名物などへと、話題を変えて、瑞希の沈みがちな気持ちをフォローした。
 福都市で生まれ育った瑞希は、県外への旅行などは、修学旅行ぐらいしか経験が無い。山や田園が広がる中国路だあったが、車窓を流れる初めての景色は新鮮で、瑞希の声に明るさが戻る。
 安川が、ホッとして、助手席を少し倒してまぶたを閉じた。
 瑞希は、あまり触れられたくない話題から、意識的に逸らしてくれようとする長尾の優しい気持ちを感じて、胸が熱くなるのだった。
 
 そのうち、車は快適な走りを続け、昼前には庄原市へ入った。
 庄原署の前まで来たとき、
「長尾くん、君はこのまま七塚原の現場に、このお嬢さんを連れて行けや。川さんへの報告は俺が済ませておくから。人員を増やして福都市へ出向く件についても、署長や川さんと大まかな話は進めておくよ」
 安川は、若い長尾に、今回の事件でかかっている大きなストレスを、少しでも発散できるようにとの、気持ちをこめながら話かけた。
 安川にも高校生の娘が居る。その娘相手に気の利いた話が出来ないことは、安川の弱点の一つだといえた。
 若い署員相手だと、冗談を交えた軽口が叩けるのだが、年頃の娘相手だと、どんな話題を口にして良いのか、途端に不器用になる安川でもあったのだ。
 気詰まりがちになる車中での、長尾のフォローは安川にとって、ありがたい行為だったのである。
 長尾が安川の提案に、どのように返事しょうかと迷っていたら、そばから瑞希
「ありがとうございます。あとは私一人でなんて云いましたけど、いざ到着してみると、どうして七塚原まで行こうかと、困っていたのです」
 と、長尾の返事を待たずに、安川に礼をいう。
 安川はニコニコ顔で
「よし、決まりだ。長尾くん、安全運転で頼むぜ」
 そういい残し、署の中へ消えていった。
「それじゃあ、お願いします」
 瑞希は、まだ、躊躇している長尾の気持ちなど、お構いないように発車をうながした。
 車が動き出して、瑞希は初めて見る知らない土地の風景を、珍しそうに見つめながら
「私があつかましくお願いしたから、長尾さんは迷惑しているのでしょうね」
「とんでもない、僕はあなたと二人だけでドライブできて、天にものぼる気持ちなんです」
 瑞希は長尾の方へ顔を向け
「それが本当なら嬉しいのだけれど・・・」
 こんなときの瑞希は、一瞬ではあるが、表情に悲しそうな雰囲気を漂わせる。
 そのことが気になる長尾であったが、立ち入ったことは聞けない。長尾は瑞希のマンションで初めて会った妹、瑞穂の白い顔を思い浮かべた。
 街の賑やかなところに来たとき、
「ああ、ちょっと、車を止めてください。あそこに花屋さんがある」
 瑞希は花屋で小ぶりな花束を買って、再び車に乗り込んだ。
 やがて、二人の乗る車は、七塚原のサービスエリアに到着。
 車を降りて現場へ近づくと、すでに黄色いテープは取り払われ、捜査員が踏み荒らした雑草が無残に倒れている。
 瑞希は、長尾に門脇が倒れていた場所を聞き、花を手向けて長いこと手を合わせた。長尾も、あわててお参りする。
 立ち上がった瑞希は、
「お父さん、こんな見知らぬ土地で、人生の幕を下ろすなんて、さぞや無念だったろうと思います」
「いや、これは瑞希さんに話しても良いものか解からないけど、お父さんが災難に合われたのは、ここではありません。ここは、ご遺体が遺棄されていたところなんです」
「本当なのですか。そうすると父はどこで・・・?」
「まだ、僕たちも捜査中で、今のところ、場所は特定されてはいません。これ以上は職務上云えませんが、必ず、探し出します。犯人も絶対捕まえて、無念を晴らしてもらいたいと思います」
 瑞希はこれまで気丈に振舞ってきたのだが、ようやく成人するかしないかぐらいの女の子、ここへきて悲しさが込み上げてきたのか、両手を口に当てて嗚咽し始めた。
 長尾はそんな瑞希を見て、思わず肩に手をあてた。
 それを待っていたかのように、ごく自然な動作で、瑞希は長尾の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。
 長尾は、瑞希の背中へ手を回し、そのままの姿勢で、瑞希の気持ちが治まるのを待ってあげた。
 雑草に囲まれた荒地の中で、静かな時間が流れてゆく。
 手を伝って瑞希の体温が伝わってくる。長尾の頭の中は、見えぬ犯人への憎悪と瑞希への愛おしさが入れ混じり、身体中の血がたぎるような想いで一杯になっていった。