幻影の彼方(26)

 田代警部が
「市会議員というのは、市民にとって一番身近な立場に居る政治家だ。多くの市民からたくさんの苦情や情報が寄せられる。その過程で、我々警察が掴んでいない情報を入手することも可能なわけだ」
「つまり、その情報をネタにして、誰かを脅迫したとか?」
 久賀管理官が、腕組みを解かぬまま、つぶやくように発言する。
「あくまで推測の域を出ませんが、そういうこともありうるのではないかと、思いましてね」
「その挙句、脅迫されていた犯人の返り討ちにあったということかい?」
 安川をはじめ、他の捜査員たちも、同じことを頭に描いていたのか、納得した表情で二人のやり取りを、黙って聞いている。
「犯人の動機が見えてこないことには、我々も打つ手に苦労する。門脇の身辺の洗い直しと、香澄の関係をもう一度調べ直そう」
 久賀はさらに言葉を続けて
「安川警部補、こちらから広島県警と庄原署へは連絡しておくが、君たちは一度所轄へ戻り、あと何人か増員してこちらへ出直してもらう。そのつもりでよろしく頼む」
 安川と長尾はすぐさま庄原署へ帰る準備に取り掛かった。
 長尾は、名刺入れから瑞希の名刺を取り出し連絡を入れた。
 瑞希は、受話器の向こうから
「えっ!こんなに早く・・・、それなら私も連れて行ってください」
「いや、今度は庄原で瑞希さんを、現場へ案内する時間は取れそうに無いのです」
「いっしょに連れて行ってもらえば、あとは私一人でお参りしてきます」
「そうですか。一応安川警部補に相談してみますね」
 そばで長尾の様子を観ていた安川は
「いいじゃあねえか。庄原へはいっしょに行って、あとは新幹線で帰っても日帰りは充分にできるさ。彼女にそう云ってやれよ」
 結局、庄原へは明日朝の出発で、瑞希も同乗していくことになった。
 
 二人は次の日の早朝に、門脇のマンションへ瑞希を迎えに立ち寄った。君子と妹の瑞穂も出てきて挨拶をすませる。
 その日の地元紙は、香澄が伊都ヶ浜で殺された事件を報じていたが、扱いはセンセーショナルなものではなく、肩透かしにあったようなそっけない紙面ばかりであった。
 長尾が気にかけていた、門脇と香澄の関係に触れた内容の記事は、どの新聞も掲載してはいなかった。
 これは、今から不用意に門脇と香澄の関係を発表することで、マスコミがスキャンダルばかりを大々的に取り上げ、興味の視点が事件の本線から外れてしまうことを嫌った、警察関係者の思惑が働いた結果であるといえた。
 門脇と香澄の関係が、紙面に掲載されていたら、瑞希をはじめ門脇の家族の心は、傷口に塩を塗られたようなうちのめされ方で、今朝を迎えたであろう。
 長尾は、何も知らない様子で、挨拶に応じた門脇の妻や瑞穂の様子に、ホッと、胸をなでおろしたい気持ちで瑞希を待った。
 身体に不自由なところがあるのか、妹の瑞穂は車椅子に乗ったままで、いかにも腺病質そうな少女であった。瑞希と年令がかなり離れている様子で、活発そうな瑞希にこんな妹がいることは、想像すらできない長尾だった。
 瑞希も色白の乙女であるが、瑞穂の抜けるような色の白さに、ビックリして長尾は挨拶するのに、一瞬、間を置いたほどである
 やがて、瑞希が昨日のスポーティな格好とは違って、水色のフレアースカートに薄いピンクのブラウスという、いかにも若い女性らしい出で立ちで、長尾たちの前に現れた。
 安川は目を細め、長尾は眩しそうに瑞希を見つめる。
 3人は、手を振りながら、福都の街を後にした。