幻影の彼方(22)

「そうか、あんたは何か重大なことを、我々に隠していると思っていたが、女のことだったんだな。この際、包み隠さず話してもらわないと、事件解決が遅れてしまう。その間にもっと大きな不幸が起る可能性がある」
 そばで安川と長尾がどんな話が聞けるのかと、口を挟まずにサブの次の言葉を待つ。
「その娘(こ)は、香澄というのですが、洋ちゃんから『自分と香澄のことは、誰にも内緒にしておいてくれ』と、頼まれましたので、これまで、・・・」
 ここで、それまで口出しを控えていた安川が
「そうか、付き合っていた女が居ても、不思議ではないが、どんな関係だったのだろう」
「香澄ちゃんは、エトワールというクラブの売れっ妓で、俺はとくに詳しいことは知らないけど、二人が”出来ていた”ことは、間違いないでしょう。俺が感じていたのは、香澄ちゃんは洋ちゃんのSだったのでは?ということです」
「Sって、スパイのことかね。そうなると、その香澄という女性に、是非、会わなきゃあならなくなったなあ。どこに住んでいるのか、お前さんは知っているんだろう?」
「たしか、あけぼの橋のすぐ近くに建つマンションだと、聞きました。あの辺にはマンションは2箇所だけですから、すぐに判るでしょう」
「香澄というのは、源氏名なんだろう?本名はなんて名だい」
「知りません。俺はエトワールに洋ちゃんと行って、2度会ったきりですから、詳しいことは何も知らないんです」
 暴漢に襲われてケガをしているサブを、これ以上は引き止めて置けない。谷口は、一刻も早く香澄に会って話を聞きたそうな、安川と長尾の様子を確認して、サブを解放することに決めた。
「今日のところは、これぐらいにして帰ってもらおう。ただし、お前さんの身辺は、当分我々で目を光らせておかないとな。パトカーで送る手配をするから、お前さんも充分気をつけて欲しい」
 その後、谷口は久賀管理官へ報告を済ませ、安川たちのところへ戻ってきた。
「これから、エトワールへ出かけましょう。香澄のことで、予備知識を仕入れた上で、彼女のマンションへ行くのが良いでしょう」
 安川と長尾にも、この提案に異論は無かったので、3人は長尾たちが乗ってきた車で、エトワールへと向かった。
 事務所の中へ入ると、中年の男が胡散臭そうな態度で、3人を迎えた。
 警察だと名乗ると、手のひらを返したように態度を豹変させ、いきなり
「香澄のことですか?」
と、質問してきた。
 3人はビックリして、顔を見合わせる。谷口が
「香澄という娘に何かあったのですか?」
 マネージャーの高橋と名乗った男は
「25日から、休んでいるのですよ。マンションに行っても、鍵がかかっていて、1週間にもなるのに、連絡が取れなくて困っているのです」
 3人の刑事達は、この話を聞いて顔を曇らせる。
 自ら姿を消したのなら、探し出せば何とかなるが、サブが暴漢に襲われたことなどを考えると、最悪の事態を想像してしまう。
 そんな想いを振り切るように、安川が口を開いた。
「香澄という娘の本名はなんていうのですか?」
「香下澄江(こうもとすみえ)といいます。苗字と名前から一文字ずつとって、源氏名にした、と言ってました。本人はけっこう気に入っていたようです」
「どこの出身ですか?」
「今、履歴書を調べますので・・・」
 高橋は、自分の机の後ろにある戸棚から、書類の束を取り出してめくり始める。
「ありました。えーと、出身は、北九州市ですねえ。小倉南区○○町となっています。年令はこの履歴書が出た時点で25歳ですから、現在、27か28歳だと思います」
「ここへ勤めてどれくらいになりますか?」
 今度は長尾が聞いた。
「多分、3年目でしょう。この業界は女の子の出入りがしょっちゅうですから、長続きしている方ですねえ」
 高橋は聞かれもしないことまで、ぺらぺらとしゃべった。
 安川が
「市会議員の門脇洋三という人と、親しかったという噂があるのですが、あなたから見て、どのような関係にみえましたか?」
「ああ、門脇先生は、以前はあの娘をよく指名してましたねえ。最近はそうでも無くなりましたが・・・」
「門脇氏は、この店にはよく来てたのでしょう」
「そうですねえ。よく来ていただいた時期もありましたが、この半年ぐらいはそうでもなかったんじゃないかなあ」
 3人は、まだいろいろ聞きたいことがあったのだが、香澄と連絡がとれないことのほうが気がかりで、彼女のマンションへ移動することにした。
 サブが云ってたように、マンションはすぐに判った。郵便受けにも部屋のドアにも”香澄”という彼女の名刺が張られている。
 ドアのブザーを押しても反応は無い。もちろん鍵はかかったままだった。
 遠くで、3人の不安を煽るように、パトカーのサイレンが鳴っている。