幻影の彼方(10)

 2回目の捜査会議が開かれた日の夕方、耳寄りな情報が入った。
福岡県警からの情報で、8月22日から行方不明の男性ではないか、との、問い合わせであった。
 すぐに遺体の写真が、服装や身長などのデータといっしょに送られ、折り返し受けた連絡で、行方不明の男性に間違いなかろうとの回答が寄せられた。
 明日、福岡県の福都中央警察署から遺族をともない、遺体の確認に訪れることになり、庄原署の雰囲気は一斉に盛り上がった。
 次の日、福都署の谷口という刑事に付き添われ、40代と思われる女性が緊張した面持ちで、庄原署へ到着した。
 出迎えた川口警部は、挨拶の後
「ご遺体は、広島の方で安置されております。すぐにそちらで確認をお願いいたします。署の者がご案内いたしますので…」
 案内には、遺体遺棄現場へ一番に駆けつけた、安川警部と長尾巡査部長があたることになった。
 庄原市広島県の北東部に位置し、県都広島市とは直線距離で60キロぐらいのところにある。高速を利用すれば50分前後で到着できる。
 確認の結果、間違いなく問い合わせのあった人物で、福都市から同行した被害者の妻である女性は、その場で泣き崩れた。
 谷口の説明によると、被害者の名前は門脇洋三、職業は福都市市会議員、年令は48歳ということであった。
 妻の話によると、門脇は22日の朝は自宅に居て、午前10時ごろ
「今日は、これから人に会う約束があるので出かける。帰りは遅くなる」
と云って出かけたらしい。
「奥さんは、ご主人がどこへ出かけるか、どんな用事があったのか、誰に会おうとしていたのか、など、心当たりは無いのですか?」
 安川は、まだ嗚咽が収まらない妻に対して、事務的な質問を繰り返す。
 それを見かねた谷口刑事が
「あとで大事なことを思い出すこともあるでしょうから、気分が落ち着いてからと言うことにしては、いかがでしょう」
と、その場をおさめにかかった。
「そうですね。ご主人がこんな目にあったのに、私も性急過ぎました。明日か明後日には、福都市に出向きますので、そのときにおたずねすることにしましょう」
 その後、司法解剖の終わった遺体引取りの手続きを済ませ、門脇の妻と谷口刑事は、庄原署へは戻らずに、広島駅から九州へと帰っていった。
 庄原へ帰る車の中で
「長尾君、明日にでも福都へ俺といっしょに出かけて、ガイ者の身辺調査を済ませよう。川さんには俺から長尾君を同行させたいと、伝えるからな」
「はい、一生懸命に頑張りますのでよろしくお願いいたします」
 若い長尾刑事は、自分が捜査の中心で働けるチャンスがやってきたと、勇み立つ気持ちを押さえるのに苦労するほど、気分の高まりを感じて返事を返した。
 
 庄原署へ帰ると、被害者の身元が確認できたこと、さらに被害者が福都市という大きな地方都市の市会議員だったことなどから、事件の大きさを感じ取り、捜査員たちの張り切った様子が伝わってきた。
 早速、3回目の捜査会議が開かれた。
 会議では、どこで殺されたのかが最も大きな関心事になった。被害者の身辺を洗うことから交友関係などを通して、犯人に近寄れるのではないか。これからは福都市に出かけて聞き込みや情報を集めることが、捜査の進展の鍵になる。そういった点で、福都市へ出かけて捜査に当たる者の人選は、捜査員たちの注目するところとなった。
 川口警部が
「今回の福都へ捜査に出かけるのは、安川警部補と長尾巡査部長にする。とりあえずこの二人に行ってもらうが、捜査の進展によっては、当然応援が必要になるだろう。いわば君達二人は先発隊と言うことだ。頼むぞ」
 安川警部補の進言どおりに、長尾の福都市行きはすんなりと決定した。
 捜査会議が終わり、捜査員たちがそれぞれの部署に戻るとき、川口警部が長尾に声をかけてきた。
「安さんと同行して、捜査のいろはを叩き込んでもらえよ。君の良い経験になるはずだ」
「はい、しっかり勉強させてもらってきます」
 50歳を越えた川口は、長尾のひたむきな警察官としての勤勉さに、早くから注目していて、長尾の行動に、若いときの自分を重ねて見ている。しかし、川口自身は、そのことを自覚していない。
 長尾は、はじめ科捜研で調べてもらう予定であった、例のアザミの葉らしき植物を、広島大学の農林水産学部で、助手として勤務している山田高志のところへ持ち込んでいた。
 山田は高校時代の同級生で、そのころからやたら植物に興味を示し、クラスの中では異端視される存在であった。そんな山田であったが、長尾とは妙にウマが合い、互いに別々の道へ進むことになった卒業後も連絡を取り合い、旧交を温めあうなかであった。
 安川との福都市行きが決まり、長尾の頭の中は、現地での捜査活動のことで一杯になった。そうして、山田へ預けた葉っぱのことは、頭の隅から消えていった。