どうしても国家権力の介入としてしまいたいサンモニ


 愛知トリエンナーレで「表現の不自由展」が中止になったことをサンモニが取り上げていた。

 結論は分かり切っているので、いつものチラ見しただけなのだが、オバちゃん党とかの何とかいう人が、憲法での表現の自由と国家権力の関係、その距離などについて触れていた。

 河村名古屋市長や吉村大坂府知事の映像と意見の一部をだして、いかにもこれが権力と憲法で保障された権利の関係で中止に追い込まれたという趣旨の説明。それに涌井という造園家で都市大学だかの教授などが賛意を示す。いつもの変わらぬ展開である。

 しかし、心ある日本人の大半は、初めに放映された慰安婦像の展示、昭和天皇の御顔が炎につつまれる写真などに、不愉快な想いを抱いたはずだ。
 少なくとも私の周りの日本人は、保守、左派などを問わずこの展示に賛意を示した人は皆無であった。

 そんな庶民の想いを無視して、どうしても国家権力の圧力があったとしたい姿勢が有りありのこのサンモニと言う番組。不自由展と同様に実に不愉快極まる。

 多くの国民が不愉快に思うこのような展示会が、憲法のもとで保障されるとしたら、安倍内閣はこの欠陥憲法の改正に動きを示す時ではないか、などの想いが私の頭をかすめた。

 さあ、今から炎天下の中、東京から帰省する親戚を迎えに行って来よう。