平和を勘違いしている日本人の何と多いことか
参院選挙が終わった。
どんな結果が出るのかと、昨夜は眠たい目をこすりながらテレビの前に居座っていたので、一日中寝不足のボヤーッとした時間が続いた。
だからと言って、革新的な県ではない。この地域で暮らす人々の意識は頑固なと言えるほど保守色が強い。
さらに社民党の代表として国会議員ではないまま続けていた吉田という候補が、比例で帰り咲いた。何とか最終段階で滑り込んだ衛藤せいいち氏が何とか保守の座をぎりぎり守ったのだが、日教組や自治労の結束が未だに強く、この構図は当分続きそうだ。
大分県の様子に触れて本題からそれたので話を戻そう。
私は国会での3分の2を衆参で確保しても、今の日本では憲法改正は不可能だとの想いが強くなる一方だ。
改正に反対する連中の言い分は「9条により日本の平和が保たれている」という主張だ。良く耳にする「戸締り論」だが、これに触れてもすぐに話題をそらす。或いは家の戸締りと平和を同じように論じるなと、苦しい反論をする。
と、問うと、それに返事してくれた人は皆無だ。
そして、今のわが国は日米安保条約によって守られている。と主張すると、すぐに否定してきて、その理由は言わない。
平和を維持するためには国力に見合った国防力が必要だ。それでこそ、わが国に対して野心を抱く国への無言の抑止力になるのではないか。
あれこれ思いながら書いていると、言いたいことが広がりそうだ。