チコちゃんではないが「今こそ日本国民へ聞きたい!」




 昨日はヤフーニュースの下の欄にある”あなたへのおすすめ”の中で
「佳子さま 宮内庁の助言を拒み『一個人』ご発言で炎上」  デイリー新潮
という記事が一日中掲載されていた。

 その一方で、令和になり新天皇ご即位に伴い、女性天皇肯定論或いは待望論が強くなっているらしい。

 ところで、世の中には絵に描いたモチにこだわり、それがいかにも正論だと思い込んでいる人々がけっこう居るものだと思ってしまう。

 一番顕著な例は憲法についてのいろんな解釈の中にあるように思われる。

 九州大学名誉教授の横田耕一氏が、
眞子さまと小室圭氏の結婚についての秋篠宮の対応は、憲法に違反すると先日何かで発表したことだ。
 婚姻は両性の合意に基づきナンタラカンタラという条文を盾にとりそのようなことを述べたのか。

 しかし、秋篠宮殿下がおっしゃられた、「国民に祝福され…」のお言葉こそ無視できない現実ではないのか。

 お二人の婚姻が整い新生活が始まれば、人間は社会的動物であるから、お二人だけで世の中を渡るというわけにはいかない。特に皇室は国民の気持ちの支えがあって成り立ってきたのではないか。

 国民の一人としての私個人の気持ちであるが、将来ご結婚が成立して時が刻まれる。眞子様の弟君が天皇に即位されたとき、小室氏が天皇陛下の義理の兄上となることにはどうしても納得がいかない。

 こうしたことを考えると、憲法が…とかの、条文通りこだわれば憲法は絵に描いたモチになってしまう。
 腹がどんなに空いても食うことが出ない。食感も味もなく生きていく人間には何の役にも立たない代物だ。

 国家の基本法とはそんなものであろうか。
人間の生活の中で生きる現実対応できる基本法こそ、憲法というものではないのか。

 これは9条に大きく関わることである。絵に描いたモチでは国民を守ることはできない。こちらを書きたかったのだが、長くなるのでまたの機会に書くことにしよう。