予選通過できたから、いろんな意見が出てくる。




 [産経抄』 6月30日
 28日のサッカーワールドカップ(W杯)の対ポーランド戦で、日本代表チームは負けているにもかかわらず、得点を狙うことなく時間稼ぎをした。結果的に決勝トーナメント進出を果たしたが、この戦術の国内外から賛否両論、さまざまな意見や論評が出ている。

 ▼リスクはあったといえ、日本人が好む潔さや、当たって砕けろの精神を捨てて消極策を選んだのだから、釈然としない人が多いのも分かる。
「もっと攻めないと観客が起こるよ。首相官邸で29日に開かれた閣議前にも、閣僚らがこうささやき合っていた。

 ▼ただ、これまで日本はスポーツでも外交でも、正攻法にこだわり過ぎたきらいがある。その意味では日本社会の成熟の表れでもあると言えよう。政治学者の櫻田淳さんは、自身のフエイスブックに記していた。「日本でもこういうズルイサッカーができるようになったと考えれば、実に感慨深い」

 ▼「『獅子の威厳と狐の狡知(こうち)』…か」。櫻田さんは続けてフィレンツェの政治思想家、マキャベリの言葉を引いていた。君主は、オオカミを従わせるライオンの力と、策略を見抜くキツネのずる賢さに学ぶ必要がある。どちらが欠けても国は危うい。

 ▼興味深いことに、政治家からは「選挙と同じだ」。外交官からは「外交と同じだ」との感想が聴こえて来た。ルールの中でぎりぎりの駆け引きをし、多少体裁が悪かろうと結果を出すことがすべての世界ということか。

 ▼そもそも、良いとか悪いとか道徳的に決めつけること自体に無理があろう。作家、池波正太郎さんの人気シリーズ「仕掛け人・藤枝梅安」で、梅安は繰り返し世の道理を説いている。「善と悪とは紙一重」「世の中の仕組みは、すべて矛盾から成り立っている」

 またまた、サッカーの話題になったが、この産経抄の内容は、スポーツに限らず駆け引きの必要な世の中の諸問題で、日本人の美しさを求める姿勢が、大きな弱点になっていることに触れているのではないか。

 テレビ局が街頭に出て、この試合の最後の10分間についての感想を求めていたが、中には「失望した」とか「あのような姑息なことして、決勝トーナメントに進んでも嬉しくない」などの言葉が聞こえてきた。

 世界は常に食うか食われるかの臨戦場だ。火器や爆弾などを使うことだけが戦いではなく、ウソを振り撒き自分たちの主張を正当化する。人の良さに付け込み、日本人が長年にわたり築きあげた健康保険制度や生活保護の仕組みに食い込んでくる。

 我々は、清さ、潔さを貫くために、不正を行う外国人まで恩恵が伝わるような制度を維持する必要はないはずだ。
 しかし、人々の中には勘違いして、どんな場合でも美しさや清さを求めることが”善”だと思っている人も居る。

 話がサッカーから飛んだが、世界を相手にするときは、自分たちはどこに目標を置くか。そこに到達するには、どんな作戦が必要かを深く考えて実行していくことが大事なのではなかろうか。