昨日の記事[目を覚ませ韓国」②
我が国の、左派マスコミは、大東亜戦争での旧日本軍の悪かったところだけを、暴き続け日本を貶めることに心血を注いできた。
しかし、そのようなマスコミは意識的に、多くの一般の日本人が中国の軍隊に凌辱された悲惨極まる「通州事件」などについては、けして報道しようとはしない。
今の近現代史をほとんど学ぶ機会がない若い人々は、この事件そのものを知らない人ばかりだ。
今朝の松木氏の記事には、簡単ではあるがこの事件に触れている。
この事件がどのような影響を、関係国へ与えたかなどを含め、考えてみたい。
産経ニュース(2017、12、21)
そう日本人の多くが思いこんでいる。ところが、それは戦後創られたイメージに過ぎない。では、実際はどうだったか(夕刊フジ)
古代国家並みの政治・経済レベルだった李朝末期の朝鮮は、日本統治下のごく短期間で、近代資本主義社会へと脱皮しているのだ。併合後に朝鮮の地主や商人の子弟が、大量に日本に留学して近代的経済システムを吸収し、日本を手本に自ら朝鮮の近代資本主義形成に取り組んだ結果である。
当時の朝鮮の人々は日本に収奪されるどころか、日本人と融和して力強く前向きに生きていたのだ。
当然ながら、日本人と朝鮮人は、とてもうまくやっていた。
韓国の弁護士協会会長を務めた朴ジョンシク氏は、呉善花(オ・ソンファ)著『生活者の日本統治時代・なぜ「よき関係」のあったことを語らないのか』(三公社)の中で、当時を以下のように振り返っている。
「日本人に対して特別な不満はなく、日本人と朝鮮人の間のトラブルもあまり聞いたことがない」 「もし、日本人が嫌なことをやったら朝鮮人がだまっていなかった」 「だから日本人から差別されたなどの問題もなかった」
さらに日中戦争(=当時は支那事変)勃発直後に発生した「通州事件」で、日本人と朝鮮人の連帯感は一挙に強まった。この事件は1937年7月29日、北京の東方にある通州で日本人114人(10歳以下12人)朝鮮人111人(同13人)が,翼東防共自治政府の中国人保安隊に虐殺された事件である。
女性は強姦されて刺殺され、子どもは指を切断されたり、手に穴をあけて引きずり回して殺すなど残虐の限りが尽くされた。
京城(現ソウル)駅には、中国に向かう日本軍兵士を見送るために連日何万人もが詰めかけ、日の丸を振って出征兵士を励ました。数千年に及んで朝鮮民族を蹂躙し続けてきた中国を、圧倒的強さで打ち破る日本軍の進撃に、朝鮮の人々は「先祖からたまりにたまった溜飲」を下げる想いで万歳を叫んだのであった。
松木国俊(朝鮮近代史研究所所長)
引用終わり
日韓併合が、今の韓国のような憎しみばかりの事実ではなかった。むしろ協力してロシアや中国などの当時の大国に立ち向かう。また、経済的に劣り民主化すらできない当時の朝鮮へ、友好の手を差し伸べて近代化に貢献した日本に、当時の朝鮮の人々は大きな理解と感謝を示していた。
しかも、若い日本の人々は、事件そのものさえ知らないのだ。
そんなに、自分の国の荒探しをして、貶めることに何の意味、どんなメリットがあるというのか。
今、若い人々は、隠されているともいえるこれらの事件について、事実を知り、これからの日本はどうあれば良いのかを、真剣に考えて行って欲しい。
戦後、姿や考え方が変わった今の韓国政府や韓国国民の憎悪の気持ちが、日本と韓国へプラスになることはあるのか。
このことも是非考えて行って欲しいものだ。