なぜ?わざわざこの季節に?

ここ数日、秋田県の由利本庄市能登半島の北端などに、北朝鮮の木造船が漂着したというニュースがマスコミをにぎわしている。
 
 11月も下旬に入れば、北西の季節風が吹き荒れ、朝鮮半島からの冷たい季節風が強まる季節だ。
 当然、海は荒れて大きな近代装備を施した船舶でも、荒波の洗礼を受け転覆や座礁の危険が伴う。
 
 そんな荒海の中、北朝鮮から漂流したという木造船の姿を、テレビ画像で見る限り、こんなお粗末な船で、よくもまあ日本の国へたどり着いたと驚嘆するばかりだ。
 
 漁に出て一カ月以上もたった漂流船もあるらしいのだが、その間の乗組員の水や食料はどのようにしていたのだろう。900キロもの想像を絶するような距離、荒れ狂う日本海をよくもまあ無事でたどり着いたことだと、感心するより呆れてしまう。
 
 戦後のわが国では、人道主義という言葉は絶大な力をもって、この漂着した北朝鮮の漁民(?)に、同情的な意見を吐く人もいる。
 確かに、この人たちの言葉通りであれば、収容施設で手厚い保護をすることに異存は無いのだが、人道主義という言葉で簡単に片づけてしまって、果たして良いのかと、多少の疑問が残るのだ。
 
 温かくなる春や、夏であれば日本海の荒れ方も違ってくるだろうし、北の大陸からの寒波の影響を一番受ける今の季節、漁に出るといっても危険と隣り合わせなのだから、すぐにでも引き返せる朝鮮半島の近海で行えば、命の危険からはかなり遠ざかることができるのではないか。
 
 私は、素人だから、断定的なことは言えないのだが、日本海に面する地域で生活している人々は、「以前は北朝鮮からの密航者、工作員が大勢日本海から上陸したらしい」と話す。
 拉致被害者の方たちも、そういった工作員に拉致されて北朝鮮に連れていかれたケースが多い。
 
 人道主義は結構だが、我が国、我が国民へ重大な被害を及ぼすような工作を目論んで危ない海を渡ってきたとしたら、手放しの同情は禁物だ。
 
 マスコミは、アメリカの制裁決議が効いている。北朝鮮近海での漁業権を中国に外貨獲得のため売り渡した。だから日本近海で漁業をするため、こう言ったことが起こるという主張だ。
 これも確かに一理あるだろう。
どちらにしても、日本と日本国民への災いのもとになるようなことは、早々に回避して欲しい。
 それにしても、日本人はなんて優しい民族なのだろう。