どんな手段を使っても当選したい

 民進党の前原代表は、党の両院議員総会で「どんな手段を使っても安倍政権を止めなければならない・・・」と、出席した議員たちに檄を飛ばした。
 総会はかなり荒れるものと、誰もが予想したが意外と際立った反対の態度をあらわにする議員は居なくて、前原代表のペースで進んだようだ。
 
 たしかにもう引き返すことはできないとの流れが出来ていて、一種の諦めの気持ちが会場を支配したのであろうか。
 辻元清美議員などは、自分がこれまで安保法などに猛反対をしてきた立場を自覚していたのか「自分は執行部の人間だから、発言は控えた」と、総会の後、不機嫌な表情で記者か何かへ応えていたとか。
 
 いつも思うのだが、政治家の中には立派な見識を持ち、自分は国民に選挙を通してこの国を動かしていくことを託されたという自覚のもと、行動する尊敬できる人も居る。
 そのことは否定できないが、これが我々の代表なのかと、呆れてしまう人物が国会議員になっている例が増えているのではないか。
 不倫が表ざたになったり、贈収賄の被疑者となり摘発を受ける、秘書に暴力を振るい暴言を吐く、失言を繰り返すなど、お粗末な議員の例を挙げるときりがない。
 
 冒頭の「どんな手段を使っても・・・」というセリフは、”どんな手段を使っても議員になりたい”という言葉に変わり、ギラギラした個人の欲望のみが頭に浮かぶ、そんな政治家が多すぎやしないのか。
 国会議員というのは、我々国民のお手本となるべき存在であるべきだ。
 我々は、その人物の思想、見識、理想などに共感して、この人ならと一票を投じたはずなのに、現実との乖離の大きさに失望して投票所に足を運ばな人も出るのではないか。
 今、自分が所属している政党のままでは、当選はおぼつかない。この際、ブームに乗って「希望の党」へ公認をもらおうとすり寄る立候補者たちのいじましさ。こんな人たちに日本の将来を託さねばならないのかと、思うと心が寒くなる。
 
 第一こんなに国民をなめた行動には、理解という言葉を当てはめようとしても、当てはめようがないのだ。つまり、有権者をバカにしたおぞましい行為だと、きりすててしまいたくなる。
 
 もちろん選挙民の我々にも大きな責任がある。街頭でマイクを向けられた人たちが大した理由も挙げられずに、誰だれを支持する。誰だれの政治には賛同できない。などと答えている姿を見ると、もう少し慎重になって欲しいななんて思ってしまうのだ。
 地方のニュースを見ていても、今回の小池旋風が日本の隅々まで吹き荒れていることがよく判る。
 マスコミの連日のニュースやワイドショーでの取り扱いで、関心度が上がるためなのだろうが、首都から遠く離れた街の人へのインタビューでもその反応の大きさには驚かされる。
 
 衆議院議員の選挙は、間接民主主義の日本では自分が住む国の将来を託す庶民が政治参加できる唯一の機会だ。
 マスコミの煽りやムードだけに翻弄されて、変な人物だけは選ばれて欲しくない。こんなことを考えていたら、一票を投じることがとても難しいだこと思えてきた。
 
 有権者のみなさん!ムードに流されず自分が支持しょうとする候補者が、過去にどんな政治的行動をしてきたかなどを考慮して、一票を投じましょう。