孫子の時代まで負の遺産を背負わせてはならない

 このようなタイトルでものを書くと、安倍総理の70年談話を思い浮かべる人は多いだろう。
 しかし、私の主張したいことは、戦後の教育や風潮による”自虐史観”についてである。(結局は同じかァ…)
 現代の日本人は、戦後を通して、教育現場で、あるいはスコミから、また、知識人と言われる人々、旧社会党共産党などの左派勢力などなど、気の遠くなるような年月をかけ、過去の戦争で日本は近隣諸国に多大な迷惑をかけた、との刷り込みのために
 我々日本人は、この取り返しのつかない罪を背負い、孫子の代まで伝えながら贖罪の気持ちを持ち続けなければならない。と、外国との交渉の中では、政治家も教育界、や宗教界などいたるところで頭をもたげるのではないのか。
 
 我々の先祖は本当に、そんなに世界中から非難されるような悪行ばかりを行ってきたのであろうか。
 私は戦争中の日本人による人類愛に満ちた経験談、心を熱くさせる様な美談も数多く聴いて育った。
さらに、日本人が言われの無い非人道的な行為で、外国の軍隊などから尊い犠牲を払わなければならなかった悲劇もたくさん聞かされた。
 しかも、日本人が行った良いことも、外国人から受けた悲惨なことも、すべてその証拠や証人が存在してのことであった。
 
 今、我が国が中国や韓国からやれ謝罪だ、賠償だと攻められること(南京虐殺慰安婦の軍の関与など)は、はっきりとした証拠が残っているわけではない。
 その検証もしっかり出来ぬまま、ユネスコの世界記憶遺産に登録をされたり、吉田清冶なる怪しい人物の虚言を大手の新聞社が取り上げ、ウソの情報が独り歩きして我が国を貶めている。
 
 これらのことに対する日本政府の対応は、いつも、相手の国のペースで事が運んでいると感じてならない。
 この日本人の外交下手は、民族の特徴なのか。長年にわたる自虐史観教育の賜物なのか。
 私たちの世代は、もう先が見えている。
このまま、日本人の誇りを失ったままで消えて行くのは残念だが、これらを払しょくするためには膨大な時間と努力が必要だ。
 
 しかし、せめて私たちの孫子の時代まで、大した証拠もなく大声で喚き立てられマスコミの世論誘導による自虐的な負の遺産を継承するわけにはいかない。
 相手の国が主張することで、間違いの無いことがはっきり証拠だてられている事案に対しては、謙虚に反省をし謝罪もいとわない。内容によっては賠償も必要だと思う。
 だが、明らかにおかしな主張で、証拠と言われるものがねつ造されている事案に日本政府はあまりにも大きく振り回されているのではないか。
 
 今年の夏から秋にかけての安保関連法案でも、国家の防衛に何が必要なのか。隙間の無い国防の体制を整えるための法案審議が、いつしか、”戦争法案”などいわれの無い言葉で語られる。
 正しくは「国土を防衛できる国」という言い方が左翼のデマゴーグで”戦争できる国”と言い換えられる。
 自分の住む国が外国から攻められない。万が一攻められたらいつでも防衛の為の準備を怠りなく配備する。そのための安保関連法案の審議であったはずだ。その自国を守るための法案審議が反対の為にスムースに運ばないと言うのは、我が国の異常さを外国に恥もなく披露したようなもの。
 私の頭の中では、こんなことで良いのかと言う疑問が付きまとう。
 
 将来、孫子が平和で安心して暮らせる国を創り上げる努力が、政治家や官僚に求められているのだが、現在の日本のリーダーたちは勉強のし直しが必要なのではないか。
 
 自分の国を貶める学習では、将来の我が国を背負う素晴らしい人材が育つはずはない。教育現場の大掃除も必要だし、正しい歴史教育にも力を入れて、子孫が胸を張れるような誇りが持てるような国づくりを目指して欲しいものだ。