政治的スローガンはどこまで許されるのか

 帰宅してパソコンを開けて、ヤフーニュースを見たら”封筒「憲法」黒塗り、抗議殺到”との表題の記事を見つけた。
 何だろう?と開けてみたら、東京都の日野市役所が15年前から使っていた市の封筒に「憲法の理念を守ろう」とのスローガンを書いたものが、現在も残っていてこれを使用する際に、市の方でスローガンが読めないように、黒塗りにして使用していたことが判明した。
 
 その市の行為に対しての、クレームが市民から殺到したらしい。
市では、その後封筒を新しく作り変えて、最近ではこのスローガン入りの封筒は使っていなかったらしい。
 それが、たまたま使われたということらしいのだが、今後は使用しないと市では明言している。
 
 この抗議をした人々の言い分を聞かないと、はっきりしたことは言えないのだが、私には「憲法の理念を守ろう」と言う言葉はどう見ても、政治的な臭いが漂ってくるのだが、他の人はどうなのだろう。
 
 今の我が国の憲法には賛否両論があり、この憲法は占領中のアメリカによって押し付けられたものだ、とか、憲法が作られてから70年の間に日本を取り巻く世界の状況は大きく変わっている。この憲法を現在の世界の情勢に合うように変えるべきだという意見も根強い。
 
 私は、9条が今のままでは、国民の生命、財産を守ると言う憲法の精神は実現できないと考えている。
 日本人が自分の国を守ると言う、国家にとって最も大切な理念がこの現行憲法では実現できないと思うのだ。
 
 私は日野市民ではないので、指しでがましいことは言えないが、少なくとも封筒に書かれた「憲法の理念を守ろう」というスローガンは、現行憲法に疑問を持つ市民の間では、護憲を唱える人々の気持ちを代弁する片寄ったものだと言わざるを得ないのではないか。
 
 市という公共の自治体が、片寄ったスローガンを書き込んだ封筒を使用しない。やむなく使用する場合は黒く塗りつぶすというのは、当然の処置だと思う。
 
 最近、いろんな自治体に顔を出すとき、市役所の近くと言うか、市役所の敷地内に「平和宣言都市」などのスローガンを書いた大きな看板が目につくことが多い。
もちろん、平和を願うことは誰もが思う共通の崇高な理念と言えるので、文句を言う積りはない。
 しかし、任意の団体が平和宣言して、看板を掲げると言う場合と意味が違うのではなかろうか。
 自治体がわざわざ宣言して市役所の敷地に看板として立てる意味はどんなところにあるのだろうと、考えてしまうのだ。
 
 さて、日野市の問題に戻るが、憲法に関してはその理念を守ろうと願う人々、そろそろ改正を考えても良いのではないかと思う人々などいろいろだ。
 
 これは明らかに政治的な意味合いを持つスローガンだと言える。
私は、日野市の決定に拍手を送りたい。