若者の意識レベルが心配だ

 録画していた「池上彰のニュース解説」を観た。
今回の内容は、スパイの問題、安保法制の問題、中国の株価暴落などが取り上げられていた。
 
 私がその中で気になったのは、安全保障法案についてだ。
解説をしながら、街の人々の声を交えて、この法案の審議や国際関係、集団的自衛権の行使について、視聴者はどのように考えるのか問題提起をしていた。
 
 この問題の基本は、これからの国際情勢の中で自分の国をどう守るのか。その時に起こるかもしれない戦争のリスクをどう捉えるかなどであろう。
 
 私が驚いたのは、安保法案の反対派として、学生らしい20代の若者が発言していた光景であった。
ふたりで並んでインタビューに答えていたが、そのうちのひとりが
「スイスってあるでしょう。この国は中立しているらしいじゃないですか。日本もスイスみたいになれば良い」
と、答えていた。
 
 この程度の意識で、反対運動に参加している人が多いのであれば、もう少し、国を守ると言うことに対して勉強をしてから、デモに参加するかどうかを決めた方が良いのではないか。
 
 スイスを例にあげれば、この国は「私の国は決して外国へ攻め込んだりはしません。どこの国とも仲良くして中立を守ります」と宣言すればどこも攻めてはこない。
そして平和が守られて、メデタシ、メデタシとか考えているのではなかろうか。
 
 もちろん学校の授業では、スイスは永世中立国としてどこの国とも戦争をしないことを誓いました。ヨーロッパで紛争があっても、それに巻き込まれずに平和国家としての道を歩んでいます。程度の教師の説明を受けて、なるほど、スイスは素晴らしい国だ。日本もスイスをお手本にして平和国家の道を歩まなければならない。
 このように思った若者が多いのではないか。
そして、若者たちはそこで学習は終了してしまう。もし、興味を持てば、先生の説明は大ざっぱ過ぎて解らないところが多かった。次は自分で調べてみよう。そう考えて図書館などへ出かけて、関連の書物をみればすぐに「永世中立国」として、この姿勢を守っているスイスの国防の実態はすぐに解るのだ。
 
 なぜ、そこで若者たちの学習が終了するのか。その理由は”平和ボケ”にあると断言できる。
 私が子ども時代からそうなのだが、若者の国防意識などは無いと言っても良いほど希薄なものだ。
 ところがこの度の安保法案の審議で、マスコミや野党が騒ぎ、反対の集会に知識人や有名人などが参加をすれば、少しだけ興味を喚起され街へ繰り出す。
そこで、インタビューを受ければ、冒頭のようなお粗末さを露呈するのであろう。
 
 さすがに池上彰の解説の中では、スイスが中立国として生きて行くためには、これだけの努力をしているという実態の一部を、映像で流していた。
この若者は、スイスの徴兵制も各家庭に装備されている自動小銃のことも、おそらく知らないのであろう。
 
 万が一、敵国に侵略されて国防が困難になった時は、奪われた土地や建物、国民の財産を敵国に利用されないように、国土を焼き払う焦土作戦まで決めているなど、知る由もなかろう。
 
 つまり、勉強もせず表面だけをとらえて、スイスが理想だと発言する若者。
街頭でラップ調の反対の声をあげている若者たちの意識も、同じレベルなのではないだろうか。
 
 私に言わせれば、良い年をした団塊世代のおじさんやおばさんも含めて、国防はどうして大切なのか。そのためにはどんな体制が必要か。などを少しで良いから勉強して欲しい。
平和、平和を唱える人に「どうしたら平和が守れるか」と質問しても「憲法9条がある」程度の答えしか返ってこない。
憲法9条でなぜ平和が守れるのかと、突っ込むと答えに窮する。
 もし、9条くらいで平和が守られるのであれば、チベット東トルキスタンの人々も平和で穏やかな暮らしが続けられていたはずだ。
しかし、中国は強引に制圧して、民族浄化まで行っている。
 平和が大切、だから私たちはどこの国とも争いを起こさない。と、平和宣言したところで、その無抵抗に近い国家を凌辱する国が、現に存在しているということだ。
 
 こんな輩が日本には大勢育ち過ぎたのではないか。
ここに教育の恐ろしさを感ずるのだが、それについては後日に触れる事にして、そろそろお終いにしょう。