産経新聞コラム”産経抄”にアッパレ
私は、激しく共感を覚えたので、ぜひ、紹介したいと想い少し長いけど引用させていただくことにした。
・・・ 中略 ・・・
全島民は半日で島外に避難を完了した。
被害が最小限で済んだのは、風向きが幸いしたのと、昨年8月の噴火以降、いざというときにどうすればよいかを住民も役所も心得て準備してきたからであろう。
自然災害に備えるのも、有事に備えるのも基本的には同じである。
噴火も地震も台風も無いに越したことはないが。「起きないように」と祈っていても、忘れたころにやってくるのが災害である。
安全保障も同じで、「戦争が起きないように」と祈っているだけで、平和が保てるのなら、マヤもインカ帝国も滅亡しなかった。
戦後70年、日本が戦争に巻き込まれなかったのは、ありがたい話であるが、このまま何もせずに次の10年、20年も大丈夫と言えるほど世の中甘くない。
こうした国の暴走を止めるには日本だけの力ではどうしようもない。
仲間と協力して平和を守るため集団的自衛権を行使するのがなぜ悪いのか。
安保法制は重要なので今国会で決めなくてもいい、という意見も一見もっともらしいが、全くの愚論だ。
噴火や地震と同じく危機は突然やってくる。
(引用終わり)
国会でのやり取りをTVを通して見ていると、何故、集団安全保障、集団的自衛権についての議論を深めて、我が国の国防を固め、国民が安心して暮らせる体制を作ることこそ大切であると思う。
しかし、野党が途中で退席したり、議論の核心から離れたところで非難し合うような無意味な国会審議が行われている。
何度も言うが、日本の周辺には国際ルールなど無視して、領海、領土の拡大を続ける無法国家があるという現実を直視しなければならない。
その上で、現実に即した国家の防衛を議論すべきだ。
野党もマスコミも首相や防衛大臣が、どこかで失策を犯さないか、少しでもあればそれをことさらアップして攻撃に専念する。
集団的自衛権について、何故、議論が必要なのか。中国の野心にどう対峙して行けばよいのかなどの議論から意識的に逃げている感じがしてならない。
機雷の除去や紛争地域での同盟国への後方支援が必要なシチュエーションは、当然おこるであろう。
そこでは必要最小限度の協力は避けては通れない。
このことに関して、自衛隊員の安全確保や命を守ることは、確かに重要である。
だが、実際に日本の存立危機が迫った場合も、そんなことを議論し合うのであろうか。
紛争に命の危険はつきものである。議論するなとは言わないが、ほかにも議論を深めなければならないことが多々あると思う。
それらの準備を怠らないように、議論を重ねて欲しいものだ。