教科書検定に思う

 来年4月から中学校で使用される教科書の検定が行われたことがマスコミ各社で報じられた。
 
 社会の教科書に絞って、私の想いを記してみよう。
マスコミの視点は、領土に関する内容が2倍になった。「尖閣竹島は大戦前から我が国固有の領土だ」として取り上げられていることを報じていた。
 早速、韓国が我が国の大使を呼びだし抗議しているようだが、ごく当たり前のことを記しただけで、このことをまな板の上に載せて騒ぐことが異常である。
 
 そのほか、教科書で、新しく取り上げられた人物として、スケートの選手やスキージャンプの選手の活躍などが載せられていることなどを紹介していた。
 
 これはこれで、若い日本人が世界を向こうに回して素晴らしい結果を残したことだし、子どもにとっても身近な話題、世界に誇れる話題として良いことだと思う。
 
 さて、ここからが私がもっとも訴えたいことであるが、中学生は人格形成の発展途上の世代である。
 この時期に、自分が生まれ育っている日本という国が、どんな国でどんな先人の生きざまのもとに、今日の我が国の発展があったのかを、授業で取り上げることが大切だ。
 教科書はその授業の内容をさらに具体的に補てんするという意味で、書かれた内容は子どもたちに大きな影響を及ぼす。
 
 言いたいことがありすぎて、全てに触れると数千ページの書物になるほどなので、さらに的を絞っていこう。
 
 そこで日本の歴史について述べてみたい。
歴史と言っても、我が国の歴史に触れれば、二千数百年の神話の時代から説き起こさなくてはならない。
 
 歴史の授業は当然のことながら、古い時代から新しい時代へと、時の流れに従い学びとっていくのが常道である。
すると、いろんなことが盛り込まれる学校運営の関係からか、近代の歴史を生徒は時間切れのために学ばないまま終わることが多いのだ。
 
 特に、昭和の大東亜戦争以後の歴史などは、きちんと学びとった生徒の方が少ないのではなかろうか。
 
 私は、シナ事変や大東亜戦争を語るとき、我が国では明治維新と日清、日露戦争との関連を通して学ばねば真相に近づけないと考えている。
 
 ところが、中学社会の教科書のシエアが50%を超える東京書籍の教科書では、日露戦争の記述はほんの数行だけだ。
当然、その中には東郷平八郎元帥や乃木希助大将の名前は出てこないままだ。その後のポーツマス条約で、幕末以来我が国が解消を望んだ不平等条約の撤廃に果敢に挑んで成果を残した小村寿太郎などの、日本を救った英雄のことを子どもたちが学ばないまま中学生を終了するという異常事態が続いているのだ。
 
 そのくせ、豊臣秀吉朝鮮出兵のときの朝鮮水軍の李舜臣の名前は本文とともに載せて、おまけに彼の銅像の写真まで載せている(東京書籍)
 
 これが、日本の教科書といえようか。
 
 子どもたちはこのような教科書のもとで、我が国の歴史を学んでいるのだ。
 
日露戦争のとき、乃木大将の203高地での戦い。東郷元帥の連合艦隊日本海でロシアのバルチック艦隊をせん滅していなかったら、今でも我が国はロシアに支配されたままであろう。(この戦での勝利は、時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトをいたく感激させ、エジプトやインド、トルコなどの国々が我が国の快挙に歓喜の拍手を送った。)
 第二次世界大戦が終了しょうとする間際に、日本の国力の衰退を見透かしたソ連が、日ソ不可侵条約を一方的に反故にして攻め込み、火事場泥棒のごとく北方領土を盗み取って、いまだに返還していないことから簡単に想像がつく。
 
 日露戦争は、まさに日本の命運をかけた戦であったのだ。
私は、子どもたちに自分が生まれた日本は、こんな素晴らしい国なのだ。こんな立派な先人が今の繁栄の礎を気づいたのだという誇りを身につけながら育って欲しい。
 
 マスコミ、日教組反日左翼、進歩的文化人たちの日本を貶める自虐史観で汚染されて大人になった人々の轍を踏んで欲しくない。
 
 それでは、 今日の日本の繁栄の礎のもとになった、素晴らしい先人の皆さまに大してあまりにも申し訳ないではないか。
 
 今、日本は新たな危機に直面している。
日本の平和を守るため、子孫に負の遺産を残さないため、私たちはどうあるべきかを真剣に考えなければならない。
 
 教科書の検定も、そのような観点から考えて行けば、おのずと正解が出るはずである。
 私が信頼できる教科書は、扶桑社の教科書だけである。
 
 悲しいかな扶桑社の教科書のシエアは、日本全体では相当低い。この教科書の採択を広げる運動が必要だ。
 まだまだ書き足りないが、まとまりを失いそうなので、今回はこのあたりで・・・。