本能寺の変とその後

 大河ドラマ軍師・官兵衛も折り返しを過ぎて、今週は本能寺の変までときが進んだ。
 
 本能寺の変は、これまで語りつくされ、映像化しつくされた感があり、本ドラマの出来栄えもこんなものだろうとの感想を抱きながらTV画面を見つめた。
 
 これまでの戦国時代劇では、ともすると、信長や秀吉を中心にしたものが多く、脇を固める軍師にスポットが当たることは、少なかったのではなかろうか。
 
 今後、中国大返し、山崎の合戦、明智氏の滅亡と話は進むのであろうが、興味は尽きない。
 
 私ごとで恐縮だが、私の祖先は黒田家の家臣で馬回り役だったらしいのだが、幕末に後継の問題から、北九州八幡の”芳賀一族”から養子を迎えた。
 
 芳賀一族は、さかのぼれば、鎌倉時代、下野の国、宇都宮氏の分家が豊前中津などをおさめ、黒田親子に謀殺された歴史的事実と関連が深い。
 
 つまり、天正年間は敵味方の関係だったのであるが、時代が進めば宇都宮氏や芳賀氏の末裔たちは、黒田家へ仕官して江戸時代から維新後へと新しい歴史を刻んでいった。
 
 私の住居から車で40分進むと、復元された中津城、その中に宇都宮鎮房を祀った「城井神社」宇都宮鎮房の家来が惨殺された、赤壁で有名な「合元寺」などがある。
 
 本能寺の変ほどの歴史的な大きな出来事ではなかったし、日本の西の果てで起きた出来事であるから、中央で暮らす人には知られてないであろうが、九州で暮らす私にとってはこの近くに用事で出かけるときは、「城井神社」などには思わず手を合わせてしまう。
 
 宇都宮氏や芳賀氏のルーツが遠く離れた栃木であることを思えば、下野の国がなおさら身近に感じられるのだ。