幻影の彼方(18)

 やがて、10時が近づき、安川が長尾を手招きして
「そろそろ、会議室へ移動するぞ。今の男は誰なんだ?」
 長尾は、安川には何でも話しておこうと、山田から知らされた新事実について、大まかな説明をした。
「そりゃあ、大変なニュースだ。これで、殺害現場が特定されるかもしれない。長尾君、大手柄になるぞ」
 安川は、自分のことのように喜ぶ。
 捜査会議は定刻に始まった。今回の会議の中心話題は、当然のことながら安川と長尾の福都市行きの報告をもとにしたものとなった。
 これは、留守部隊が庄原市やその近郊で、聞き込みをした結果が思わしくなく、大した進展が無かったことの証左であるともいえた。
 署長以下、現場に散った刑事たちも、安川と長尾が福都市で得た情報への期待をつのらせた。
 安川が、被害者の門脇が、福都湾埋め立てにともなう人工島の建設で、市会議員という立場で、利権がらみの動きをした。そのことでトラブルに巻き込まれた可能性があることを伝えた。
 長尾は、谷口と行動をともにして、奉天のサブという男へたどり着いたものの、サブが重要なことを隠し、今回の捜査ではこれ以上の進展が見られなかったことを報告。
 福都中央署の谷口にサブの動向を探ってもらうことを依頼して、出直したことなどを、自分の意見として付け加えた。
 二人の報告を聞いていた捜査員の中から、福都署の刑事にサブの動向を探らせることについて、疑問視する声が上がった。
 今回の事件は、庄原署のヤマであるから、よその警察への安易な依頼により、手柄を横取りされるのではないか。このような福都中央署への対抗意識むき出しの意見であった。
 川口警部が
「そうは云っても、このヤマは福都中央署の協力を仰がないことには、解決できないことは明白だ。この際、手柄話は後回しにして、事件解決を優先させよう」
 と、捜査員たちを説得する。
 ここで、安川警部補が手をあげて
「今度の福都市行きとは関係がないのだが、長尾君から重要な発表がある。みんなしっかりと、彼の話を聞いてくれ」
 参加した捜査員たちは、どんな話が聞けるのかと雑談をやめて、長尾の方へ注目した。
 長尾は緊張と興奮の気持ちをコントロールする難しさを意識しながら、説明に入った。
 山田との関係などに簡単にふれた後、例の葉っぱをビニール袋ごと、指で挟み捜査員たちに見せながら
「これは、誰もが七塚原サービスエリアのそばの遺棄現場に、自生していたアザミの葉で、死体を運ぶ途中でズボンの折り返しに紛れ込んだのだろうと、判断していました。
 草花には取り立てて詳しくない私ですが、葉っぱがあそこのものとは、違うのじゃあないか。トゲも現場のものほど鋭くない。そんな疑問を捨てきれなかったのです」
 長尾は、ここで一呼吸置き
「それで、広大の友人に調べてもらうように頼んだのです。結果は、現場に自生するタイプのアザミではないとのことでした」
「これは”ヒゴタイ”というキク科の多年草で、愛知や岐阜以西に分布する絶滅危惧種に指定された植物だったのです」
「別名”ルリ玉アザミ”ともいい、8月から9月にかけて直径5センチ前後の球形の花を咲かせるのだそうです。花の色は瑠璃色で、花が咲くまでは同じキク科のアザミとよく似ていて、素人には見分けはつきにくいとのことでした」
「どこにでも見られるものではなく、九州の高原地帯など自生地は限られているようです。とくに 七塚原あたりには、自生していないので、あそこで、この葉っぱがズボンに付くということは、考えられないとのことでした」
 後ろの方から、一人の捜査員が
「このあたりには、無い植物ということですか?」
と、話の途中なのに質問を入れてくる。長尾は山田に教えられたとおりに
「庄原から最も近いところでは、となり町の神石高原町があります。ヒゴタイは神石高原町の”町の花”にもなっているそうです。ですが、公園や家庭で栽培されているのが殆んどのようです」
 長尾の話が一区切りついたところで、神石高原町に住む市場警部補が
「そういえば、子どものころ実家の裏山で見たことがあるぞ。そうか、神石町が殺しの現場かも知れないなあ」
 長尾はその意見を制するように
「今、ここから近いところの例をあげましたが、自生種が最も多く分布するのは、大分県から熊本県にかけての高原地帯だそうです。少なくとも、七塚原が殺しの現場ではないことが、はっきりしたのではないでしょうか」
 再び、市場警部補が
「距離的に考えて、私は神石町で殺された可能性が大きいと思います。ここから僅か20キロくらいですからね。ガイ者は神石高原町ヒゴタイが咲いているところで、殺されたに違いありません。そして、七塚原に遺棄されたのですよ」