幻影の彼方(1)

 空はぬけるように青く、真っ白な飛行機雲が、見事な直線の航跡を描いて東のほうへゆっくりと伸びてゆく。
少し視線を下げると、遠くにギザギザした鋸の刃を思わせる形と、右へ緩やかな勾配が続く山の稜線が、まぶたの奥にかすむ。
 目の前には、風が吹くたびにユラユラと首をかしげる紫色をした球体の植物が揺れている。
 
 
 旧盆の休暇が終わろうとする日の深夜近くに、あいつからの電話が入った。
22日に会いたいという。
 会う場所と時刻を一方的に告げて、短い連絡は終わった。
「…なんだ、こっちの返事も聞かず、無礼な奴だ。・・・」
 相手が告げた場所のことやその日の予定を頭に浮かべながら
「大金が手に入るのだから、場所と日時ぐらいは奴の希望に合わせてもいいか、・・・」
 門脇は、機嫌を直して受話器を置いた。
 
 約束の日、指定された場所には門脇の方が先に到着した。
 広い駐車場の半分以上は、特徴ある同じメーカーの欧州車が数十台停車しており、到着してすぐらしい車からは、家族連れや若者などが、野外パーテイ用の道具を運び出して、近くの森の中へ運んでいる。
 門脇は、青空へ向かってタバコの煙をくゆらし、しばらくその様子を眺めながら、あいつとの交渉の段取りを頭の中で描いていた。
 やがて、一台の車が門脇のすぐそばで止まり、開け放った運転席の窓からあいつが声をかけてきた。
「やあ、遠くまでご足労をかけてすみません。今日は、ここで何かイベントが行われているようですね。落ち着ける静かな場所に移動しましょう」
「ここから先は。私が運転しますので、どうぞ乗ってください」
 あいつは、満面の笑みをたたえながら、門脇を自分の車へといざなった。
「あの丘の上のあずまやなら、陽射しはさえぎられ、風通しも良さそうですね。あそこで話を進めましょう」
 車は小道へ入り、緩やかな坂道を上ってゆく。丘の頂上には車が十数台は楽に止められるような駐車場があり、その脇に「・・・・公園」と、字の一部がかすんで読みづらくなるほどの古ぼけた木製の看板が立っている。
 公園とは名ばかりだが、あちこちに高原特有の珍しい花々が咲いていて、早朝や夕方にはカメラを手にしたアマチュアカメラマンがけっこう撮影に訪れるらしい。
 8月も下旬に入ったばかりで、強烈な太陽光がふりそそぐ日なたを避けてか、この時間には人影は全く見えない。
 車は駐車場を避け、公園の中に造られた細い道を進み、あずまやのすぐ脇に止められた。
 あいつは車に積んだクーラーボックスから缶ビールを2本取り出して、先に車を降りた門脇のもとへと近づいた。
「門脇さんの車へ戻るまで、時間はたっぷりありますので、冷えたビールで喉を潤しましょう」
と、門脇に差出し、自分は早々とプルトップを開け、缶ビールを飲み始めた。
 門脇も喉に渇きを感じていたし、好きな銘柄のビールだったので礼を言って受け取り、一気に喉を潤す。
 ヘビースモーカーでもある門脇は、タバコに火をつけ、相手が話の口を切るのをじっと待った。
 話し合いが始まり、数分が経過したところで、突然、門脇は身体に異変を感じた。
 頭がしびれ、身体がけだるくなる。意識も薄れがちになって明らかにおかしい。
「貴様!ビールに何か仕込んだな」
 これだけを口にするのがやっとの状態で、ふらつく足取りのまま、あいつから少しでも遠ざかろうと、門脇はあずまやを飛び出した。
数歩進んだところで、門脇は立っておれなくなり、背丈ほどもある野草が生い茂る草むらに倒れこんだ。
 ここは何処か?何が起ったのか?俺はどうなってしまうのか?
たくさんのクエスチョンマークが、門脇の脳裡を駆け巡る。門脇は、懸命に身を起こそうとするが、痺れが進む身体は、門脇自身の意思を頑なに拒み続ける。
 やがて、意識が遠のき、門脇の想いをあざ笑うように、得体の知れぬ悪魔が彼の身体を支配して、暗黒の世界へと引きずり込んでいった。